金メダル獲得の原動力。スピードスケート小平奈緒の一番の武器とは (3ページ目)
それでも小平は、日本への帰国は選ばず、「これで強くなるという確信はないですが、何が悪くて、何がいいかというのを見極めたい」と、もう1年継続することを希望した。案の定オランダの2年目は、W杯でも6位が最高で7シーズンぶりの表彰台無しに終わる散々な結果だった。しかし、この1年間で自分を見つめられたことが、のちに幸いする。
「もう1年となると、帰って来てから平昌までは22カ月しかなくなるので、『その時間で何とかなるのかな?』というのは考えました。それに捻挫をしたこともあって、帰って来てからはケガを治すことから始めたので、体調もあまりよくならなかった。でもそこで体調が悪い原因に目がいったのがよかったと思います」
結城はある行動を起した。
「日本ではまだできないアレルギー検査を、アメリカにサンプルを送ってやってもらいました。さらに日本にも専門医がいることがわかったので相談すると、小平は『遅発性アレルギー』で、オランダで主食として食べていたものが、ほとんどダメだったんです。それからアドバイスももらって食事の改善に取り組むと、3カ月くらいで体がガラッと変わってきて。筋力も一気に上がって、体のむくみも取れてスーッとした体つきになったんです」
体調に改善の兆しが見えてきたところで、今度はスケートについて考え始めた。
「7月の氷上練習では『今までより滑れそうだ』という感覚も出てきたし、ショートトラックの合宿後の9月にロングトラックを滑った時には、練習開始7日目のタイムトライアルでいきなり38秒0を出したので『これ間違いなく戻ってきている』と。そこからは1000mと1500mをどう戻していくかということを意識し始めました」
もうひとつの変化が小平に起きていた。中3の時にウエイトトレーニングで痛めた左ひざの古傷があり、ずっと痛みも出ていてキックが右足に比べて弱かったが、オランダの低強度のトレーニングが幸いしたのか痛みが取れて、状態がよくなってきていたのだ。
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