アイスホッケーの美女GK藤本那菜「五輪メダルで恩返しをしたい」 (2ページ目)
藤本が"天職"と出会ったのは小学5年生のとき。6歳でアイスホッケーを始め、父から熱血指導を受けながらも芽が出ず、辿り着いたのがGKだった。最後の望みをかけて取り組んだポジションで才能が開花し、17歳で日本代表入りを果たすまでに成長した。
日本代表の未来を担う選手として期待された藤本だったが、バンクーバー五輪の予選を戦った後、2012年まで代表を離れることになる。
「(代表を離れていた時期は)アイスホッケーから気持ちが離れ、人生自体に迷っていた時期でしたね。大学・大学院で勉学に励んだりしていたので、日本代表活動を辞退していました。気持ちを新たに復帰した年は、試合に出ることなくベンチでサポート役に回りました。チームが(2014年の)ソチ五輪の切符を獲得したのは嬉しかったんですが、選手として(出場権獲得のための)試合でチームに貢献できなかったことが悔しかったです」
その悔しさをバネに、ソチ五輪の本番には正GKとして全試合に先発出場した。結果は5戦全敗に終わるも、そのうち3試合が1点差での惜敗。当時の飯塚祐司監督が「藤本でなんとかもっている」と発言したように、まさに藤本が"最後の砦"になっていたのだ。
平昌五輪の最終予選でも好セーブでチームを救った藤本
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