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【ミラノ五輪】佐藤駿は羽生結弦の演技映像を見て気持ちを高め、三浦佳生から心に火をつける喝をもらった

  • 折山淑美●取材・文 text by Toshimi Oriyama

銅メダル獲得に涙を流した佐藤駿 photo by Sunao Noto / JMPA銅メダル獲得に涙を流した佐藤駿 photo by Sunao Noto / JMPAこの記事に関連する写真を見る

【「メダルだよ」驚きと喜びの大号泣】

 2月13日(現地時間)のミラノ・コルティナ五輪フィギュアスケート男子フリー。佐藤駿(エームサービス/明治大)は、ショートプログラム(SP)9位発進ながらフリーでは納得の演技を見せ、合計274.90点とした。

 自身のフリー後、グリーンルームの暫定トップが座る席でしばし他の選手の演技を見守った佐藤。「メダルを獲得できるとはまったく思っていなかった」と、カメラを向けられるたび困ったような表情でぎこちなく振る舞っていた。その後、合計291.58点を出したミハイル・シャイドロフ(カザフスタン)に席を譲った。そして鍵山優真が合計280.06点で表彰台を確定させて隣に来ると佐藤の表情も和らいだ。

 その直後、優勝候補で最終滑走のイリア・マリニン(アメリカ)はまさかのミスを連発。佐藤は「本当に珍しいなと思って見ていました」と言ったが、マリニンの結果が自らにどういう状況をもたらすのか、まったく想像できていなかった。

 鍵山は「(佐藤)駿はイリア選手の得点が出た時も、最初のほうは全然気づいていなかったんです。『メダルだよ』と言っても何のことだかわからない感じだった」と話す。その後、ようやく銅メダル獲得に気がつくと、佐藤は号泣した。団体戦では悔しさの号泣だったが、今回は驚きと喜びの号泣。そんな佐藤のことを鍵山ははやし立てるように喜んでいた。

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著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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