検索

「父の上に行けるように」フィギュアスケート界の"サラブレッド"小塚崇彦が五輪の舞台に立つまで (4ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

 シニア移行4季目で初めて経験する五輪シーズンは、GPシリーズ初戦のロシア大会ではエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)に圧倒的な力の差を見せつけられながらも2位に入った。しかし、続くNHK杯では総合7位と惨敗を喫した。SPで練習では失敗していなかったトリプルアクセルで転倒。フリーではジャンプの回転不足を連発し、転倒もあった。五輪シーズンに臨む難しさを実感する大会となった。

 GPファイナル2位の織田が早々に五輪内定を決め、残り2枠を争う戦いとなった全日本選手権。SP2位発進の小塚は、フリーで4回転を控えたが、後半の3回転フリップが2回転になり、トリプルアクセルがシングルになるミスが出た。

「自分のなかでは練習して体力もつけたつもりでしたが、五輪がかかった試合だったので今までとは違う緊張感がありました」

 それでも、合計236.13点を獲得した小塚。高橋、織田に次いで3位となり、国際大会での成績も加味されて3枠目の五輪代表を手にしたのだった。

後編につづく

<プロフィール>
小塚崇彦 こづか・たかひこ/1989年、名古屋市生まれ。2005−2006シーズン、初出場のジュニアGPファイナルで日本人男子初優勝。世界ジュニア選手権でも優勝を果たす。シニアデビューの2006−2007シーズンにNHK杯で初の表彰台に上がる。2010年バンクーバー五輪に出場し、8位入賞。2010−2011シーズンにはGPファイナル3位、全日本選手権初優勝、世界選手権2位と躍進。ケガの時期を経て、2014−2015年シーズンの全日本選手権3位。2016年に現役引退。現在は、全国各地でスケート教室を開催するなどスポーツの普及活動に取り組む。中京大学大学院体育学研究科体育学専攻博士前期課程修了。

著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

4 / 4

キーワード

このページのトップに戻る