【平成の名力士列伝:海鵬】「小よく大を制す」を体現した真っ向勝負の技能派力士
技能派力士として記憶に残る相撲を見せた海鵬 photo by Jiji Press
連載・平成の名力士列伝59:海鵬
平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。
そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、小兵ながら土俵で存在感を放った海鵬を紹介する。
【運動神経を生かし細身の技能派力士として台頭】
細身ながら俊敏に相手の懐に飛び込み、鋭い寄りや左下手投げ、出し投げ、内掛けと攻め立てて大きな相手をなぎ倒す――。海鵬は相撲どころの青森出身らしい、そんな魅力的な相撲で平成中期の土俵に確かな存在感を放ち、「小よく大を制す」相撲の醍醐味を存分に味わわせてくれた力士だった。
昭和48(1973)年生まれで青森県西津軽郡深浦町出身。日本海に面した漁業の町で、熊谷涼至少年も漁師の家に生まれた。のちに四股名とした「海鵬」の由来は、実家の所有する漁船「海鵬丸」だ。幼い頃から学業優秀で運動神経抜群、小3の時に祭りの大会で優勝したのをきっかけに、「天心館道場」で相撲に励んだ。当時の指導者は、のちの関脇・安美錦の父、杉野森清克さん。廻しを取って相手に食いつき、出し投げで崩すという、道場の伝統であり、力士となってからも持ち味となる相撲を磨いた。
地元の鯵ヶ沢高校に進み、のちに九重部屋の幕下となる千代の翔らとともに全国大会の団体戦で優勝を果たすなど活躍。日大に進んでからは幼い頃から磨いた技に加え、前に出る強さも身につけて、2年生から団体戦のレギュラーになり、全国学生選手権では団体3連覇に貢献。個人戦でも活躍し、体重別が多いとはいえ13ものタイトルを獲得した。大学3、4年の時には体重無差別の東日本学生選手権で2連覇を果たしたほか、始まって間もない世界選手権でも日本代表となり、中量級で2連覇を成し遂げている。
子どもの頃は漁師志望だったというが、確かな実績を積み重ねるなかでプロ入りの気持ちが固まり、元横綱・北勝海の八角部屋に入門して平成8(1996)年1月場所、幕下最下位格付け出しで初土俵。同学年で拓大出身の元学生横綱でのちの関脇・栃乃洋らを破って7戦全勝で幕下優勝を飾った。その後、幕下上位でやや足踏みしたが、平成9(1997)年5月場所で新十両、平成10(1998)年5月場所で新入幕を、いずれも八角部屋の第1号として果たした。
学生時代よりやや大きくなったとはいえ、177センチ、122キロの体は当時の幕内で最軽量クラス。しかし、土俵に上がれば、抜群のスピードを生かし、どんな大きな相手にも臆せずぶつかり、攻め立てる。左を差して食いつけば、幼い頃から磨いた下手投げ、出し投げ、内掛けを繰り出して相手を翻弄する。時には張り手を交えた激しい突っ張りも繰り出す。幕内3場所目の同年11月場所には西前頭2枚目まで進出。その後、なかなか幕内上位の壁は越えられなかったが、細身の技能派力士として存在感を増していった。
著者プロフィール
十枝慶二 (とえだ・けいじ)
1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。

