「父の上に行けるように」フィギュアスケート界の"サラブレッド"小塚崇彦が五輪の舞台に立つまで (2ページ目)
【世界の舞台で戦うなかで実感した成長】
父・嗣彦も出場した世界選手権(1969年/13位)。親子2代にわたっての出場は日本初で、小塚は「少しでも父の上に行けるようにしたい」と話していた。
その本番、SPでは最初の連続ジャンプの3回転ルッツの着氷が乱れて2回転トーループをつけるのにとどまったが、そのあとはきっちり滑った。持ち味のスケーティングを見せるステップシークエンスは、「とくに後半のサーペンタインステップが気持ちよかったです」と、70.91点の8位発進。自身も納得していた。
だが、フリーは最初の3回転+3回転が3回転+1回転に。そこから、トリプルアクセルに3回転トーループをつけてリカバーしたものの、後半で疲れが出てしまい3回転サルコウと3回転ルッツで転倒という結果になった。
それでも8位を堅持。4位の高橋とともに翌年の日本男子シングルスの世界選手権出場3枠獲得した。悔しさとともに安堵の表情も見せた小塚はこの先へ向け、「今季多かったジャンプの転倒をなくし、4回転を入れること。練習でたまに跳べるだけではなく、10回中失敗は2回くらいにしたいです」と意欲を口にしていた。
そして「世界選手権ではハイレベルな選手たちと一緒に練習できたのがいい勉強になりました。このままではダメだと思い、振り付けも自分からアイデアを出したり、少しずつプログラムづくりにも参加しています」と小塚。
2008−2009シーズンを迎え、GPシリーズ初戦のアメリカ大会では、ノーミスの滑りで自己ベストの80.10点をマーク。3位発進ながら、1位のエバン・ライサチェク(アメリカ)には1.20点差、2位のジョニー・ウィアー(アメリカ)に僅差の好位置につけた。
フリーでも、最初の4回転トーループは転倒というスタートになったが、次のトリプルアクセル+3回転トーループをきっちり成功。粘り強い滑りを見せた。終盤のトリプルアクセルこそ着氷を乱し減点になったが、146.08点を獲得。合計を自己ベストの226.18点とし、ライサチェクとウィアーを逆転。GPシリーズ初勝利をあげた。
「逆転はまったく頭のなかによぎっていなくて、とにかく4回転を入れたいという思いだけでした。それを転倒したのは悔しいですが、そのあとはうまくまとめられた。佐藤信夫先生には『4回転を失敗しても最後まで体は動くようになっているから、精神面だけは強く持って最後までちゃんと続けるんだよ』と言われて、それを守ってできたのは今回の救いだったと思います」
こう話した小塚は、「技術的には少し進歩したくらいだと思うけれど、気持ちの面では世界選手権のあとからはすごく進歩できたと思います」と笑みを浮かべて話していた。
その後、フランス大会では合計230.78点で2位。シリーズポイントではパトリック・チャン(カナダ)に次ぐ2位で、初のGPファイナル進出を決めた。
このシーズンは、高橋大がケガで全休。織田も前季を全休し、GPシリーズはNHK杯の1試合のみの出場だった。日本勢の女子は浅田真央ら3人が出場したが、男子は小塚のみとさみしいGPファイナルになった。
2 / 4