小説『アイスリンクの導き』第4話 「再出発の日」 (3ページ目)
入社後、1年が経った頃だ。「3人のアイドル女子の湯けむり珍道中」というテーマで旅行番組を作った。撮影後、彼女たちから「アシスタントディレクターがやりにくかった」というやんわりとしたクレームが来たという。最初にそれを聞いた時、すぐに反発したい気持ちになった。女優でも、アイドルでも、モデルでもパッとしない3人は華も色気もなかったのだ。
撮影しながら、結菜は半ば呆れていた。
〈これなら、自分が温泉につかってはしゃいだ方がましじゃないか〉
胸の内で、そう毒づいた。
社内で、唯一信頼していた上司に呼び出された。トラブルの件の確認であることは薄々勘付いていたが、この人なら、わかってくれて、「ひどい撮影に付き合わされたな」と一緒に愚痴を言い合う展開さえあるんじゃないか、と淡い期待も抱いていた。日頃からスマートな優しさを見せてくれる人で、他の社員の信頼も厚かった。
「何の呼び出しか、わかっているな」
部屋に入るなり、上司は言った。
「はい」
結菜は一応、頭を下げ、殊勝な様子を見せた。
「橋本さ、もしかして"自分でもできる"って思いながらやっていなかった?」
言い方が、いつもより厳しかった。
「え、そんなことないです」
適当な嘘をついたが、思っていた風向きでなかったことに動揺し、きっと目が泳いで挙動不審だっただろう。
「まあ、いいけどさ。君の存在が現場を悪くしているようだぞ」
「お言葉ですが、現場で何かマイナスなことを言った覚えはないです。与えられた仕事はやったつもりです」
結菜は、胸を張って言い返した。
「与えられた仕事ってなんだ? 空気を悪くすることか?」
上司は語気を強めながら、ため息をついてこう続けた。
「橋本は、今回の仕事を見下していたんじゃないのか? きっと、3人のタレントのことも。この私がなんでこんなことやらないといけないの、という空気が出ていたらしいぞ。他のスタッフにも確認した。それは君が否定しようがしまいが関係ない。周りの人が感じていたんだよ」
「それは......」
「いい加減、気づけ!」
言葉にいら立ちが滲んでいた。
「何を、ですか?」
「与えられた仕事はしていました、なんて言う人に、希望を出しているようなルポ番組を任せられると思うか? 誰が君にその番組を任せたい? もっと言えば、誰が一緒に仕事をしたいと思うんだ?」
結菜は返す言葉がなく、さらに上司の叱責を浴びた。
「この世界、甘くはない。やりたい仕事をしたいなら、今の仕事で結果を残すことだぞ。それは誰かが見ている。それを信じてやるしかない」
「はい」
結菜はどうにか声を絞り出した。
「湯けむり番組の女の子たちは、タレントとしては力不足だったかもしれない。でも、俺が見た限り、あの番組を足掛かりにしようと精一杯にやっていた。その真剣さの中にある愛らしさを、誰かが評価するかもしれない。へたくそでも、面白いキャラクターを見出せるかもしれないよ。その点、君が不出来だと思っていた彼女たちの方が、よほど可能性を感じさせていたぞ」
「はい......」
「この世界、能力があるものが売れるわけじゃない。どれだけ作り込んだか、芸術的な匂いがするか、テレビの神様には関係ないんだよ。完成度が低いものが、タイミングがよくて売れるかもしれない。それがテレビという世界だ」
「そう思います」
「じゃあ、映像を作る人間に何が必要なのか。それは理想をつかみ取ろうとする姿勢じゃないのか?」
結菜は何も言えずに黙っていると、上司が重ねて続けた。
「不満はあるだろう。でも、懸命にやっている姿は見ているから。俺たちが橋本の仕事を見ているから、それだけは忘れるな」
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