小説『アイスリンクの導き』第4話 「再出発の日」 (2ページ目)

「占い師さん、『来年の終わりから10年間は、とても濃密な時間を過ごすことになるでしょう。氷上を滑っている姿がはっきり見えます』とか言っていたよね? 占いが12歳だったから、ちょうど23歳でミラノ五輪、世界選手権で優勝するくらいまで......」

「たしかに、当たったこと多いね!」

「でも、その先のことは聞いていないよね?」

 結菜が言った。

「たしかに。現役復帰までは見通せなかったかもね」

「うんうん」

「自分で言うのもなんだけど、本当に数奇な運命だよ。何が起こるのか、わからない」

 翔平は感慨深げに言った。

「子どもの頃から、翔平はスケートに打ち込んでいるときが一番、輝いていたから。競技の場所に戻ってくる想いや姿を、ちゃんと見ている人に届けられたらなって思っとるよ」

 結菜は真剣な眼差しで言った。

「うん、ありのままでいいよ。テレビではそれが一番難しいんだけど」

「そう! 少しでもズレると、わざとらしく映っちゃう」

「難しい世界だよな。テレビの世界で過ごして、自分はやっていけない、と心が折れたもん。女性にとっては、もっと大変なことが多いでしょ? まだまだ男尊女卑の意識が残っているし」

 翔平は言った。女性が出世するのが難しい世界なのも知っていた。きっと、大変な思いで役職に就いたはずだ。

「いやいや、現役復帰するのに比べたら、どうってことないよ」

「ハハハ、まあ、誰もやったことないし、やらないよね」

 翔平はそう言って笑い飛ばした。

「人がやらなかったこと、やらないことをするっていうのが格好いい。今回の密着は、体のケアとかトレーニング風景とか、すごくいい絵が撮れているから、しっかり伝わってほしいな」

「最高の締めのインタビューも頼むよ」

「えー、プレッシャー! 生放送だなんて」

 結菜は両手で頭を抱えて首を振った。おどける様子を見せながら、"これは理想をつかみ取るチャンスだ"と自分を励ました。

〈この世界は甘くはない。甘いのは、いつも自分だ〉

 それが、テレビ業界に入った当時の結菜の感慨だった。

 大学卒業後、映像プロダクションに入社した結菜は、アシスタントディレクターという肩書を与えられた。しかし、その実状は雑用係だった。自分が雑巾にでもなったのでは、と錯覚した。電話番、配送品の手配、資料集め、書類の整理、そしてお茶くみまで昭和っぽさのオンパレード。テレビ局やスポンサーなどクライアントと会社の間に立って、飲み会に誘われては接待担当に使われた。

「こんなのは常識の範疇。ここから這い上がらないと」

 先輩社員たちに諭されたが、その意味が理解できなかった。這い上がるというのは、自分は地獄のような場所に放り込まれているということか。あまりに時代錯誤で気が滅入った。

〈好きな仕事をやっているんだから〉

 その呪いをかけられた人形として働いているようで、3日に一度は投げだしたくなった。やりがい搾取だ、といつも憤慨していて、次第にやる気も薄れていた。

 当時、世界で頂点に立って輝いていた翔平との距離は開いて、遠くの人になったように思えた。

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