羽生結弦「震災に遭われた方々の希望というのはなんだろう」 被災者と3月11日の「星降る夜」に思いを馳せて滑った (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 能登 直●撮影 photo by Noto Sunao(a presto)

●被災者に思いを馳せて

 第2部は、シェイ=リーンと鈴木明子、無良と本郷が踊る『Dynamite(ダイナマイト)』で始まる。

 まずスクリーンで曲に合わせて踊る羽生の姿が映し出されると、そのまま氷上にも映し出される楽しげな雰囲気で始まった。

 そして希望を表現するような、各スケーターの明るい滑りが続き、内村も単独でゆかの演技を見せた。

 大トリは羽生の『春よ、来い』だった。

 羽生はこのプログラムについて「僕自身は実際に『GIFT』や『プロローグ』など、いろいろな場面でこのプログラムを滑らせていただいていますが、今回、自分のなかで描いていたのは、直接震災のことを考えたいとか、震災に遭われた方々の希望というのはなんだろうとか、そういうものをいろいろイメージしながら......。

 僕自身がそれになれているのだろうか、というのもまた考えながら滑らせていただきました」と説明する。

「3月11日という日には、あれから毎年、気持ちを込めながら......祈りや感謝、悲しみも込めながら人知れず滑ってきました。

 ただこうやってみなさんの前で、この感情とともに3月11日に演技をするということ。そして、そういう企画のなかで演技をすることは初めてなので、正直すごく緊張しています。

 ですが、この『ノッテ・ステラータ』というショーだからこそ伝えられる気持ちだったりとか、このショーだからこそ見えるプログラムの新しい一面だったり気持ちだったり、テーマだったり。そういうものもまた感じていただければと思いました」

この記事に関連する写真を見る 3.11の記憶も含め、希望を届けたいと考えたアイスショー。

 会場やスクリーンビューで見ている人たちのすべてが震災で傷ついているわけではないだろうし、ニュースでしか知らない人たちもいるだろう、とも羽生は言う。

 だがそれぞれの人生で苦しくなった時、『ノッテ・ステラータ』のプログラムが見せる星空が、少しでも希望を届けるものになってくれたらと願っている、と祈りを込めた。

 東日本大震災12年目に合わせて開催されたショー。それは羽生がプロアスリートとして一歩を踏み出せた実感があったからこそ、実現できたアイスショーでもある。

プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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