羽生結弦「震災に遭われた方々の希望というのはなんだろう」 被災者と3月11日の「星降る夜」に思いを馳せて滑った
●震災の夜の「希望」を表現
12年前の3月11日。東日本大震災で電力事情が悪化していたなか、仙台の夜空は、星に覆われていたーー。
羽生結弦は2016年世界選手権後、数多くの選手の指導や振り付けを手掛けてきたロシアのタチアナ・タラソワ氏から、「これを演じてほしい」と言われてある曲をプレゼントされた。
それがイタリアのボーカルトリオ、イル・ヴォーロが歌う『notte stellata(ノッテ・ステラータ)』。デヴィッド・ウィルソン氏が振り付けを担当したエキシビションプログラムだった。
『羽生結弦 notte stellata』に出演した羽生結弦この記事に関連する写真を見る 今年3月10日に、宮城県利府町のセキスイハイムスーパーアリーナで開幕したアイスショー『羽生結弦 notte stellata』。座長を務める羽生は冒頭、こうあいさつをした。
「ノッテ・ステラータ、星降る夜という意味です。12年前の3月11日に僕は、満天の星を見て希望を感じました。
このショーは僕たちスケーターが一人ひとりの思いを込めて、一つひとつのプログラムが、輝く星となるように滑らせていただきます」
羽生が舞う『ノッテ・ステラータ』で始まったショー。ディレイドアクセルのあとにキレのあるトリプルアクセルをきれいに決めた羽生。プログラムへの思いを心の奥に静かに秘めるような、静謐な滑りだった。
そしてそのままオープニングに移った。
「今回は希望というテーマにひとつ大きなものがあって、滑っている時にはスクリーンに3.11の頃の星空を映し出していただいていました。
(曲の)最後は、普通だったらスクリーンと反対のほうへいくんですが、今回は逆にしてスクリーンの方向へ。『その星空から得た希望とともに今まで滑ってきたんだ』ということを感じながら滑りました。
デヴィッドさんとお話をしながら、そのあとのオープニングをつくっていったけど、そこでは他のスケーターたちを流れ星のように見せていきたいという話をずっとしていて。
僕が演じたのは『星降る夜』で、その星たちが降ってくるような感じでオープニングをつくった。
『ノッテ・ステラータ』とそのあとに続くオープニングがひとつのプログラムとして見えるように考えて、僕自身も演技しました」
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著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。