羽生結弦のメンタルコントロールのすごさ。世界最高得点を連発した当時の思い (4ページ目)
自己分析ができていたGPファイナルでの羽生のフリーは、NHK杯のような気迫を前面に出すようなものではなかった。それでも「しっかり演じよう」という思いが伝わってくる、とても丁寧な滑りだった。
「ショートの前は優勝にこだわっていたけど、フリーの前になって『優勝だけじゃないな』と思えたんです。やっと自分の周りが見られるようになってきたからこそ、点数だけじゃないと思えてきた。もちろん点数にこだわった時期もあるし、得点を上げるためのプログラムも意識した。でも今はこのプログラムでジャンプがやっと決まるようになってきたからこそ、芸術性に関しても自分らしい表現ができるようになってきたのかな、とも考えるようになりました」
「表現が難しいから選んだ」と彼自身がいうSPの『バラード第1番ト短調』とフリーの『SEIMEI』。羽生はそのプログラムを得たからこそ"表現"をより深く考え始めたのだろう。
GPファイナルのエキシビションで演じたのは、東日本大震災の被災者への鎮魂の意も込める『天と地のレクイエム』。NHK杯の時の高揚感に支配されたものとは違い、感情を抑えてプログラムに込めた思いを表現しようとする意志が伝わってきた。
その滑りは彼の300点超えをしっかり消化して次への歩みを始めようとする、「絶対王者」としての力強さを感じさせるものだった。
(つづく)
【profile】
羽生結弦 はにゅう・ゆづる
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13〜16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。
折山淑美 おりやま・としみ
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。
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