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【プロレス】藤原喜明が明かす、長州力を襲撃した"雪の札幌事件"の真相 「『行け』って言われてやっただけの話」 (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

【長州ら「維新軍団」との抗争】

 なぜ、藤原はひと夜でチャンスをつか掴めたのか。

「普段からコツコツやっていれば、たった1回でもチャンスをつか掴めるんだよ。逆に積み上げがないやつが花開いたって、アッという間にしぼむことになる。自分が好きな練習をコツコツやってたのが世間に認められた。それだけの話だよ。

 プロレスの世界でメインイベントに出続ける人は、みんなそうなんだ。俺は、本当の意味で結果が出るのは、何かを始めてから10年後、15年後だと思っている。それで成功するかもしれないし、廃れているかもしれないからな」

 メインイベンターとなった藤原は、長州ら「維新軍団」と真っ向から激突した。クライマックスは、雪の札幌事件から2カ月後、4月19日に蔵前国技館で行なわれた「新日正規軍vs維新軍 5対5柔道マッチ」だった。

 正規軍からは猪木、藤波、木村、高田伸彦(現・延彦)、そして藤原の5人。対する維新軍は長州、浜口、谷津、寺西、小林の5人。それぞれが先鋒から大将を務め、柔道の団体戦と同じ勝ち抜き戦で激突した。

 藤原は副将として参戦。浜口と激しくぶつかり合い、両者リングアウトに持ち込んだ。そうして迎えた大将戦、猪木が長州を破って正規軍が勝利した。

 藤原は、この時に対戦した浜口の実力を絶賛した。

「浜口さんは天才だった。あの人と対戦してあらためて思ったのは、人間が努力でできるようになることは少ししかないけど、やっぱり努力してるやつじゃないと花は開かないってことだな。浜口さんは、まさにそういう人だったよ。

 ただ、いくら努力しても埋もれてしまう人もいる。だから、俺もそうだけど浜口さんもラッキーではあったな。何回も言ってると思うけど、メインイベンターは、努力家でもあり天才なんだ」

 一気にスターダムの階段を上った藤原。全国各地でメインイベンターを張り、人気も飛躍的に伸びたが、直後に重大な決断を下すことになる。それは、UWFへの移籍だった。

(敬称略)

■連載13を読む:UWF移籍までの経緯 新日本プロレス退団時のアントニオ猪木の言葉に「俺は必要ない人間なんだ」>>

【プロフィール】

藤原喜明(ふじわら・よしあき)

1949年4月27日生まれ、岩手県出身。1972年11月2日に23歳で新日本プロレスに入門し、その10日後に藤波辰巳戦でデビュー。カール・ゴッチに師事し、サブミッションレスリングに傾倒したことから「関節技の鬼」として知られる。1991年には藤原組を旗揚げ。現在も現役レスラーとして活躍するほか、俳優やナレーター、声優などでも活動している。陶芸、盆栽、イラストなど特技も多彩。

【写真】 ケンコバのプロレス連載 試合フォトギャラリー

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