髙田延彦vs武藤敬司の熱狂、ヒクソン戦の放送にまつわる裏話を元東スポ記者・柴田惣一が明かした (3ページ目)
【UWFインター解散。因縁のヒクソン戦へ】
――その後、1996年に髙田さんは東スポプロレス大賞の「年間最高試合賞」を受賞していますね。
柴田:天龍源一郎さんと、神宮球場でやった試合ですね(9月11日)。屋外の神宮球場だから、天気のこともあるし、大変でしたよ。
――その 3カ月後、両国国技館で天龍さんと再戦(12月13日)。その試合で負けた2週間後に、UWFインター最後の興行が後楽園ホールで開催されました。
柴田:新日本との対抗戦で経営状態も改善されたのかと思っていたんですけどね。その後の新日本との抗争も、新日本に利益があっただけだったのかな......。UWFインターが髙田さんひとりに頼りすぎていたことも、この結末につながったんじゃないかと。
――でも、「NO FEAR」の高山善廣さんや桜庭和志さんなど、いい選手はいましたよね。
柴田:僕が思うに、UWFインターでは新日本や全日本プロレスほど、受け身の練習を重視していなかったんじゃないかと。髙田さんや山崎一夫さんは新日本でとことんやらされていたからいいけど、ほかの選手たちは......。だから、投げられたら大ダメージを負ってしまうシーンも多々あった。UWFインターは、プロレスでも格闘技色の強いスタイルだったけど、やはり受け身は大切ですね。
――UWFインター解散後、髙田さんは総合格闘家時代に突入。1997年10月11日に東京ドームで開催されたPRIDE.1で、ヒクソン・グレイシーと戦っています。
柴田:UWFインターに所属していた選手の多くは、新設された団体「キングダム」に入ったけど、髙田さんは入団しなかった。その頃には、ヒクソン戦の実現に向けて話が進んでいたからです。
サイドストーリーになるけど、日本テレビのプロレス担当のプロデューサーから「ヒクソンvs.髙田って視聴率を取れると思う?」と相談があったんです。僕は「どうだろうね。一般のファンは、ヒクソンと聞いてもピンとこないかもしれない」って言っちゃって。それが影響したのかはわからないけど、結局はスカパー!のPPV(ペーパービュー)で中継された。僕が「いける!」と言っておけば、地上波であの試合が放送されていたかもしれません。
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