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佐竹雅昭が振り返る『24時間テレビ』内のゲーリー・グッドリッジ戦 重圧もあったが「ああいうシチュエーションになると燃える」 (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

【清原和博に「スパーリングしない?」】

 この頃の佐竹は、アメリカ・シアトルにあるキックボクサーのモーリス・スミスのジムで特訓を重ねていた。師事していたトレーナーはケビン山崎。のちにプロ野球選手の清原和博らのトレーナーを務めて有名になった同氏は、関西学院大学アメフト部のトレーナーを務めていた時に正道会館の関係者と知り合い、筋力を強化するトレーナーとして佐竹らを指導するようになった。

「ケビンさんは食事管理も徹底していて、『炭水化物を取らずにチキンだけを食べなさい』といった指導をされましたね。筋トレも教えてもらって、それまで持ち上げられなかった重さのバーベルなども上げられるようになった。パワーがついてきたことを実感したので、専属トレーナーになっていただいたんです。ケビンさんの拠点がシアトルだったので、試合と試合の間にシアトルで特訓するようになりました」

 ケビン山崎のジムの近くにスミスのジムがあり、スパーリングも行なうなど充実した環境で練習に集中していた。当時は、清原とも一緒に練習をしたこともあったという。

「清原さんと一緒にトレーニングした時に、冗談で『スパーリングしない?』と誘ったこともありましたね。向こうは『いやいや......』って苦笑いしていましたよ」

 当時は34歳。プレッシャーをはねのけてグッドリッジに快勝するなど、心身ともに上昇カーブを描いていたが......。1999年の10月5日、大阪ドームで行なわれたK-1グランプリの開幕戦。同じ正道会館の後輩だった武蔵との試合が、佐竹にとってK-1ラストマッチになってしまう。

(つづく)

【プロフィール】

佐竹雅昭(さたけ・まさあき)

1965年8月17日生まれ、大阪府吹田市出身。中学時代に空手家を志し、高校入学と同時に正道会館に入門。大学時代から全日本空手道選手権を通算4度制覇。ヨーロッパ全土、タイ、オーストラリア、アメリカへ武者修行し、そこで世界各国の格闘技、武術を学ぶ。1993年、格闘技イベント「K-1」の旗揚げに関わり、選手としても活躍する傍ら、映画やテレビ・ラジオのバラエティ番組などでも活動。2003年に「総合打撃道」という新武道を掲げ、京都府京都市に佐竹道場を構え総長を務める。2007年、京都の企業・会社・医院など、経営者を対象に「平成武師道」という人間活動学塾を立ち上げ、各地で講演を行なう。

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