引退の齋藤彰俊が語る「記憶に残る3試合」1試合目の小林邦昭戦で感じた本物のプロレスラーの「強さ」
齋藤彰俊 引退インタビュー
「記憶に残る3試合」1試合目
プロレスリング・ノアの齋藤彰俊が、11月17日に愛知・ドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)で引退試合を行なう。
1990年のプロレスデビューから、新日本プロレスでは「平成維震軍」として活躍。2000年からノアに参戦すると、秋山準とのタッグでGHCタッグ王座を獲得するなどトップ戦線に立った。そして2009年6月13日には、リング上の事故で急逝した三沢光晴さん(享年46歳)が戦った最後の相手になるなど、約34年のプロレス人生は激動だった。
引退試合を前に、齋藤が幾多の激闘のなかから記憶に残る「三番勝負」を選んだ。1試合目は、1992年1月30日、大田区体育館での小林邦昭との異種格闘技戦を振り返った。
1992年1月30日、異種格闘技戦を行なった齋藤彰俊(上)と小林邦昭 photo by 山内猛この記事に関連する写真を見る
【「リミッターを外さないと俺がやられる」】
32年前の小林戦で、齋藤が今も鮮明に覚えているのは、本物のプロレスラーの「強さ」だった。
「小林さんの脇腹に自分のいいパンチが入って、顔面にヒジとヒザも入って、ハイキックも手ごたえがありました。普通ならすぐに倒れているはずです。だけど、小林さんは倒れない。拳にも足にも手ごたえを感じて『今度こそどうだ!』と倒したと思っても、平然と立ち上がる。その時に『この人は半端じゃないな』と思いました」
齋藤は愛知の中京高校(現・中京大付属中京高校)時代から空手を学んだ。「誠心会館」を主宰し、「FMW」などプロレス団体にも参戦していた青柳政司との縁で、1990年12月20日に愛知・半田市民ホールで開催された剛竜馬の「パイオニア戦志」に参戦。金村ゆきひろとの試合でプロレスデビューした。
翌年には「W★ING」の旗揚げに参加して3カ月ほど同団体で戦ったが、小林はそれまで戦ったどの相手と比べても別格だった。
「学生時代に、小林さんとタイガーマスクの試合などをテレビで見ていました。ジュニアヘビー級だったので体が小さいイメージがありましたが、リングで対面するとデカいんです。体がぶ厚くて目が血走っていて、とにかく殺気がすごかった。
そんな小林さんを前にした時、自分は"レッドゾーン"といいますか、『リミッターを外さないと俺がやられる。大変なことになる』と感じて技を出し続けました。ところが倒れないんですよ」
小林の「強さ」を回想する齋藤の口調は、32年を経ても興奮し熱を帯びる。
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