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ブル中野より先にアメリカで人気爆発 全女のタッグチーム「JBエンジェルス」と元東スポ記者が語り尽くす (3ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

【日本人レスラーの"拠点"となった「GOレストラン」】

――ブル中野さんも1993年から米国のWWFに参戦しましたが、その先駆けだったんですね。

柴田:JBエンジェルスは日本よりアメリカでのほうが有名だったかもしれませんね。今のようにSNSもない時代ですから、活躍ぶりはあまり日本に伝わって来なかったけど、現地では大人気でしたよ。今年、ブル中野がWWEホール・オブ・フェーム(殿堂)入りしたけど、JBエンジェルスが松永兄弟の意向を無視してそのままアメリカで活動していたら、表彰されたかもしれませんね。

――現在、山崎さんはニューヨーク在住だそうですね。

柴田:"水が合った"んでしょうね。全女で山崎の引退試合が行なわれたのは1989年5月14日でしたが、相手はパートナーの立野で「最後のJB対決」でした。その後、ジャパン女子プロレスで現役復帰して、1991年に結婚を機に引退。ご主人は腕のいい料理人で、夫婦で「GOレストラン」という飲食店の経営を始めましたが、ブル中野もアメリカ遠征時は「GOレストラン」や山崎ファミリーにお世話になったんじゃないでしょうか。

 そうそう、タイガー服部(日本のプロレスの元レフェリー)の息子も「GOレストラン」で働いていたんですよ。また、シリーズオフのたびに渡米していた西村修など、日本人レスラーが必ず顔を出す場所として有名で、「ニューヨークコネクション」と言われていました。

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