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ビューティー・ペアは全女のリングを歌でも盛り上げた 元東スポの柴田惣一が明かす不仲説の真相 (4ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

「ブラック・ペア」といえば、池下と阿蘇しのぶによるビューティー・ペアのライバルチーム。このふたりはチーム名が「ブラック」だから、「普段から黒い服を着ろ」と会社から言われ、上から下まですべて黒の衣装でしたね。

 当時は「推し」なんて言葉はありませんでしたが、徹底的に応援する風潮があって。ブラック・ペアも、ビューティー・ペアほどじゃないけどファンが多くて、ファンは自分たちも黒ずくめの服を着るという"掟"があった。ただ、ビューティー・ペアのファンから"攻撃"されていたようですけど。その後は、ヒール役をデビル雅美が受け継いで、ビューティー・ペアが去った後の全女をジャガー、ミミ、デビルの3人が支えました

――『極悪女王』では、新人時代のクラッシュ・ギャルズ、ダンプさん、クレーン・ユウさん、大森さんの「55年組」が集まっている部屋に、いきなりジャッキーさんが現れるシーンがありますね。

柴田:ジャッキーは後輩にも慕われていましたからね。イジメもなかったと聞きます。ちなみに、ダンプと大森は1988年に電撃引退を発表して、ふたりで「桃色豚隊(ピンクトントン)」というユニットを組んで、シングル『赤いウインナー逃げた』でCDデビューしました。作詞を担当したのが、ジャパン女子プロレスのアドバイザーだった秋元康というのも、運命を感じますね。

――ビューティー・ペアは女子プロレス人気を高め、解散・引退の後の影響も大きかったんですね。

柴田:クラッシュ・ギャルズのファンも熱かったけど、ビューティー・ペアのファンの熱狂ぶりもすごかったですからね。耳をつんざく黄色い大声援で、放送席の実況アナや解説者は声を張り上げないといけなかった。ファンは勝てば飛び上がっての大喜びで、負ければ大泣き。感情むき出しの応援で、試合後はクタクタに疲れ果てて動けなくなる人もいました。

 ジャッキーが会場を去る時などは、近寄ろうとする新しいファンを古参のファンが制して、お見送りの道を作っていました。新規ファンは「ジャッキーさん」、古参のファンは「佐藤さん」と呼ぶなど、ファンの上下関係も厳しかったですね。

(連載9:ブル中野より先にアメリカで人気爆発 全女のタッグチーム「JBエンジェルス」を語り尽くす>>)

【プロフィール】

柴田惣一(しばた・そういち)

1958年、愛知県岡崎市出身。学習院大学法学部卒業後、1982年に東京スポーツ新聞社に入社。以降プロレス取材に携わり、第二運動部長、東スポWEB編集長などを歴任。2015年に退社後は、ウェブサイト『プロレスTIME』『プロレスTODAY』の編集長に就任。現在はプロレス解説者として『夕刊フジ』などで連載中。テレビ朝日『ワールドプロレスリング』で四半世紀を超えて解説を務める。ネクタイ評論家としても知られる。カツラ疑惑があり、自ら「大人のファンタジー」として話題を振りまいている。

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