ブル中野が振り返る、生死をかけたアジャコングとの金網マッチ ギロチンドロップを見舞う際「やっぱり怖くて、手を合わせた」 (3ページ目)
【FMWで異例のマイク】
――1992年当時、女子プロレス団体は全女のほかにJWPとLLPW、FMW女子が存在しました。1992年7月15日の全女の大田区大会には、FMW女子のシャーク土屋選手とクラッシャー前泊選手が乱入。同年9月19日FMW横浜スタジアム大会にはブルさんが参戦しています。
ブル:その横浜スタジアム大会は、メインイベントが大仁田厚さんとタイガー・ジェット・シンの電流爆破デスマッでしたね。私は北斗晶と組んで、工藤めぐみとコンバット豊田と戦いました。2人とも元全女の選手ですし、コンバットは元極悪同盟。やることの予想はつきました。
あの時期、スタジアムで興行ができたのは大仁田さんだけです。私の目的は、そのお客さんを全部奪うことでした。だから、試合後のマイクアピールも重要だと思っていました。
現役当時を振り返ったブル中野 photo by 村上庄吾この記事に関連する写真を見る
――結果は全女チームが勝利。試合後にブルさんは、セコンドにマイクを持ってくるよう指示を出しましたが、そういう意図があったのですね。
ブル:FMWでは大仁田さん以外、マイクを使用することは禁止されていたんです。事前にFMWサイドからも言われていました。しかし私は「そんなの関係ない」と、セコンドの若手に「絶対にマイクを持ってこい」と指示を出しました。それを聞いていたFMWのセコンドやスタッフは、放送席にあるマイクを渡さないように必死でしたね。
今なら理解できますよ。主催団体に「マイクを使用しないでください」と言われたら、守らなければいけない。対抗戦が盛り上がるのは相手あってのものですし。でも、当時の私は「自分のやりたいことをやろう」と思い、「ウチらの試合、もっと観たかったら全女の会場に来い!」とマイクアピールをしました。
――その試合のブルさんのギロチンドロップが、『週刊プロレス』の表紙を飾りましたね。
ブル:試合後、私は無事でしたが、(全女のマネジメントを行なっていた)ロッシー小川さんがFMWサイドに監禁されましたね。
――監禁? ロッシーさんは大丈夫だったんですか?
ブル:詳しくはわかりませんが、今も元気なので大丈夫だったんでしょう(笑)。
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