「いつまで続けるの? 殴られる姿、もう見てられないよ」ボクシングも格闘技も好きじゃなかった27歳女子がリングに上がったワケ (2ページ目)
だが、入社1週間で違和感を抱く。「ここでずっと働くのはムリだな」と、直感の赴くままあっさり3カ月で辞めてしまう。
「私の人生、行き当たりばったりで、計画性がないんです(笑)」
ただ、転んでもただでは起きないバイタリティを彼女は持ち合わせていた。
バイトを掛け持ちしながら、退職から3カ月後にはパーソナルトレーナーの資格を習得。その後、ダイエットや健康には運動のみでは不十分だと栄養学を学び始め、ファスティング関連の書籍を出版、グルテンフリーのスイーツ専門店をオープンさせたりもしている。
27歳までボクシングとは無縁。それもそのはず、彼女は言う。
「ボクシングも、格闘技も、まったく好きじゃなかったです」
2014年、トーレニングや栄養学を学んだ際に師と仰いだ人物が和氣慎吾(FLARE山上ボクシングスポーツジム)のトレーナーをしていた縁があり、和氣の東洋太平洋スーパーバンタム級王座防衛戦を観戦する。
世界が変わるのに、3分もいらなかった。
「初めてボクシングの試合を見て、気づいたらもうやっていたみたいな」
もちろん、周囲からボクシングを始めることに反対意見も多かった。だが「私、都合のいい耳なんで」と、彼女は一切気に介さなかった。
とはいえ、ボールを奪い合うことすら苦手だった彼女が、拳にバンテージを巻いたのは大きな矛盾を孕(はら)んでいるように映る。
「ですよね。自分でも思います(笑)。ただ、競技を続けるなかで少しずつ言語化できるようになったんですけど、私のなかでは何も奪い合ってないんです、ボクシングって。
奪うんじゃなくて、自分がやってきたことをリング上で出す。もちろん相手はいますけど、究極的に自分を磨いて、磨いて、磨いて、リング上で披露する。リングの上で相手から何かを奪ったり、取り合ったりしているわけじゃない気がするんです」
和氣に「女子の選手が多いジムがいいよ」と紹介されたのが、ワタナベボクシングジムだった。
「ワタナベジムが家から5分だったんです。私、運命とか信じちゃう系なんで(笑)」
ロマンチストは同時に淡い野望を抱いていた。
「女子ボクシングがロンドン五輪で正式種目になり、2020年の五輪開催地が東京に決定したタイミングだったんです。ボランティアでもなんでもいいから、五輪に関わりたい。でも、できるなら選手で。女子ボクシングは競技人口が少ないので可能性があるかなって」
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