女子プロレスラー KAIRIは、なぜヨットのU-22日本代表からスターダムに入ったのか (4ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi
  • 立松尚積●撮影 photo by Tatematsu Naozumi

――KAIRI選手がデビューした2012年から、スターダムでユニット抗争が始まり、愛川ゆず季さんが率いる「全力女子」に所属しましたね。

KAIRI:ただ、ユニットでタッグ対決があっても、「タッチしたら闘う権利が移るのか」というレベルでした。私は目の前の試合をこなすことで精一杯。デビューが早かった分、先輩の試合を観て覚えるしかなかった。

――ヨットの経験から与えられた"海賊"のイメージが浸透し、レスラーとしても成長した2015年には、スターダムの選手会長に任命されました。KAIRI選手は誰かの後ろについて支えるイメージが強かったです。

KAIRI:小川さんと風香(元スターダムGM)さんから「KAIRIは先輩や後輩関係なく、みんなと仲良くできる。だから選手をまとめるのに適任だ」と、選手会長に任命されました。試合をこなすのに精一杯だったのが、責任ある立場になってから意識が変わりましたね。

「誰かがなんとかしてくれる」じゃなくて、「自分が団体を守るんだ」と。当時は一気にたくさんの選手がスターダムを去ってしまった時期で、ファンの人たちも不安だったはずです。だから、「残った私たちで何とかスターダムを守ろう」と気持ちを切り替えました。

――その後、岩谷選手、紫雷イオ選手と「スリーダム」を結成することになります。

KAIRI:いつも3人で円陣を組んで「私たちならできる」とお互いを励まし合いました。とにかく必死でしたね。

(中編:WWEで感じた恐怖「人前に出るのもブーイングも怖い」>>)

【プロフィール】
KAIRI(かいり)

1988年9月23日生まれ、山口県出身。155cm。50kg。高校1年でヨットを始め、インターハイ、国体、インカレで上位に。大学1年でジュニア世界選手権日本代表となる。その後プロレスに興味を持ち、2011年8月にスターダムに入門。翌年1月7日にデビューした。2015年2月にスターダムの選手会長に就任し、同年3月にスターダム最高峰のベルト「ワールド・オブ・スターダム王座」を初戴冠。2017年6月にWWEと契約し、リングネームを「カイリ・セイン」に。2017年9月、「WWEメイ・ヤング・クラシックトーナメント第1回大会」で優勝。2018年8月、NXT女子王座を獲得した。2019年4月、スマックダウンに昇格してASUKAと「ザ・カブキ・ウォリアーズ」を結成。同年10月、WWE女子タッグ王座を獲得したのち、日本に帰国。2022年3月、5年ぶりにスターダムに参戦し、同年11月に新設されたIWGP女子王座の初代王者に輝いた。

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