女子プロレスラー KAIRIは、なぜヨットのU-22日本代表からスターダムに入ったのか (2ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi
  • 立松尚積●撮影 photo by Tatematsu Naozumi

――高校生で「『そこそこ』の人生を変えよう」というのは、なかなかの決意ですね。

KAIRI:でも、その時点では「日本一を目指す」といったことは頭になかったんです。最初は優しくて爽やかだった先生も、1カ月後には豹変。私がヨットをひっくり返して溺れていても、「自分で上がれ!」と言われましたよ(苦笑)。

 熱意がすごい先生でした。同期も次々と辞めてしまって、私は同期の中で一番下手で、今も155cmですけど小柄でしたし、「お前は向いてない」と言われ続けました。

 冬のある日、先生から「いつまでも『背が小さいから遅い』『才能がない』『負けて当たり前』とか、できない理由ばかり探してるんじゃない!」と言われて。その瞬間、雷に打たれたように「ハッ」と自分の甘えに気づいて。そこから気持ちが変わったんです。

 わからないことをノートに書いて質問しに行ったり、体が小さいなら小さいなりの肉体改造に取り組んだりと、前向きになりました。そうしたら、2年生の時は地区予選で敗退していたのが、高校3年で全国大会に出場。全国大会でも、他の競技者より頭ひとつ飛び出すくらい速かった。この先生のおかげで、何事も「『できるか、できないか』じゃなくて、『やるか、やらないか』」が大切だということに気づくことができたんです。

【スターダムを初めて観た時の衝撃】

――高校生から引き続き、大学でもヨットを続けたんですね。

KAIRI:オリンピックに憧れていたので。いろんな大学から声をかけていただきましたが、ヨット部が強い法政大学に進学しました。

――大学では1年生の時、世界大会にU−22の日本代表として出場。卒業後も競技を続けようと考えていましたか?

KAIRI:卒業の前に、「ヨットでオリンピックを目指す」のか「就職」かの2択で迷いましたね。ですが、「自分で稼いで食べられるようになりたい」と思って就職を選択しました。ヨットは自分の中でやり切った感もあったので。

 就活を終えて卒業に必要な単位も取得し、そこで時間ができたんです。そこで何をしようかと考えた時に、私は人前に出るのが苦手だったので、それを克服するために舞台を始めたんです。そうしたら表現の楽しさに気づいてしまって。ある時、プロレスがテーマの舞台に出演したのが、プロレスに触れるキッカケでした。

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