ジャンボ鶴田、三沢光晴ら伝説のレスラーたちの激闘。それらを裁いたレフェリーが3つの名勝負を厳選 (4ページ目)
「『鶴龍対決』が始まってからの天龍さんは、いつも冷静なジャンボさんをなんとか怒らせようと、ムキになって向かっていったんです。だけどジャンボさんは、それに反応せず、まったく怒らない。2人はずっと噛み合わなかったんだけど、試合になると、その噛み合わないところが面白かった。
あの大阪での試合は、ジャンボさんのほうが合わせようとしていたんだけど、今度は天龍さんがそうさせなかったんです。レフェリングしていた俺もなんとか成立させようとしたけど、無理でした。そんな2人の対立が、最後に天龍さんが失神という形になったんだと思います」
天龍は同年の6月、5戦目の「鶴龍対決」でパワーボム2連発からの完璧なピンフォール勝ちを収めた。しかし6戦目、7戦目は逆に鶴田がピンフォール勝ち。その7戦目を最後に、天龍は全日本を離脱して新団体「SWS」に移籍した。
「天龍さんが全日本をやめたのは、どんなに頑張ってもジャンボさんと噛み合うことがなかったからだと思います。恐らく疲れてしまったんでしょう。あの『鶴龍対決』でジャンボさんと噛み合っていたら......と思うことはあります。ただ、そこはトップレスラー同士のプライド。噛み合わないのに名勝負を生み続けたという意味で、『鶴龍対決』は稀有な戦いでしたね」
■和田京平(わだ・きょうへい)
1954年11月20日生まれ。東京都出身。さまざまな職業を経たあと、1972年に全日本プロレスにリング設営スタッフとして参加。1974年レフェリーとしてデビュー。1986年には、東京スポーツ新聞社が制定する「プロレス大賞」で「優秀レフェリー賞」を受賞した。2011年6月に一度は全日本を離脱するも、2013年6月に「名誉レフェリー」として復帰した。
4 / 4