ジャンボ鶴田、三沢光晴ら伝説のレスラーたちの激闘。それらを裁いたレフェリーが3つの名勝負を厳選 (3ページ目)
「天山が動けないのに、あのまま引き分けにしたら大暴動が起きたと思う。だから、10カウントを入れるしかないと思ったんです。数えている間に、お客さんも立てないことがわかるから、納得する時間と説得力を持たせることができた。あれは、ギブアップとか3カウントじゃダメ。10カウントだからこそ、実際に立ち上がれないことをお客さんと一緒に確認して、みんなが納得できたと思います。あの判断は、今でも100点満点だったと自負しています」
天山が脱水症状を起こしたのは、全日本と新日本のスタイルの違いに起因があったという。
「小島は新日本から全日本に移籍して3年ぐらい経っていて、その間に"受け"を重視する全日本のスタイルが身についていた。だけど天山は、自分の会社の興行でもあったし、"攻め"の新日本スタイルを貫かないといけなかったんです。それで、最初からガンガン攻めたんだけど、結果として脱水症状を起こしてしまったんですね。
小島は天山の攻めを受けていたわけだから、当然、残りの体力には差が出ます。小島のほうが試合運びがうまかったということ。ただ、あの試合は俺が裁いたなかでも、間違いなく壮絶な試合のひとつですよ」
③ 1989年4月20日@大阪府立体育会館 三冠ヘビー級選手権
【王者・ジャンボ鶴田vs挑戦者・天龍源一郎】
昭和末期から平成初期にファンを熱狂させたジャンボ鶴田vs天龍源一郎の「鶴龍対決」。長州力らジャパンプロレス勢が新日本に復帰し、団体の危機を感じていた天龍は1987年5月に決起。トップの鶴田と対抗したことで実現した両者の対決は、1987年8月31日から1990年4月19日まで7試合が行なわれた。
そのなかから和田が挙げたのは、「鶴龍対決」の4戦目、1989年の大阪府立体育会館での一戦だ。過去3戦はいずれもリングアウト・反則による決着だったが、この試合は鶴田が天龍の必殺技である「パワーボム」を脳天から落とし、天龍が失神。そのままピンフォールする壮絶な幕切れとなった(16分03秒、体固め)。
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