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ジャンボ鶴田、三沢光晴ら伝説のレスラーたちの激闘。それらを裁いたレフェリーが3つの名勝負を厳選 (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Sankei Visual

 三沢と川田は、栃木県の足利工業大学付属高校のレスリング部の先輩・後輩にあたる。1年先輩の三沢は、他の選手と試合をする時よりも、川田戦では意地をむき出しにしていたという。

「三沢は、川田には絶対に容赦しなかった。でも、川田も『負けるか』と対抗して、2人の感情のぶつかり合いがあったから毎回すごい闘いになったんだと思います。高校の先輩・後輩という、他人にはわからない2人だけの関係性があったんでしょう。ただ、(ジャイアント)馬場さんは、2人を見て『川田はどんなことあっても三沢を抜けない。高校時代から先輩と後輩だからな。これはどうしようもないことなんだ』とよく言っていました」

 全日本プロレスが初めて東京ドームで興行した1998年5月1日のメインイベントは、三沢vs川田の三冠ヘビー級選手権だった。ドームの晴れ舞台で川田は、馬場の言葉を覆し、初めて三冠戦で三沢を破った。

「全日本にとって初めてのドーム。馬場さんは『最高の試合をファンに提供する』と言っていました。そこで組んだのが三沢vs川田戦だった。それほど2人を信頼していたし、1990年代の全日本、いや、団体の歴史上で最高のカードだったことの証明だったと思います」

② 2005年2月20日@両国国技館 三冠ヘビー級&IWGPヘビー級王座統一戦
【三冠王者・小島聡vsIWGP王者・天山広吉】

 天山と小島は「テンコジ」タッグでIWGPタッグ王座を獲得するなど、新日本の看板チームだった。しかし、小島が2002年2月に全日本へと移籍して袂(たもと)を分かち、タッグは自然消滅。その後、小島が全日本の三冠、天山が新日本のIWGPと両団体の最高峰を極めたことから、史上初の統一戦が実現した。

 試合は新日本の両国大会で、「60分1本勝負」で行なわれた。50分が経過し、「時間切れ引き分けが濃厚か」と思われたが、天山がふらつきはじめ、ついには起き上がれなくなってしまう。

 試合後に判明したことだが、天山は脱水症状を起こしていたのだ。レフェリーを務めていた和田は10カウントを入れ、小島のKO勝ちを宣告(59分45秒)した。

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