女子レスラー林下詩美、「ビックダディ三女」と呼ばれる葛藤。「本当の自分は見てもらえない」 (2ページ目)
人見知りになった原因は、もうひとつある。大好きな家族だ。
「うちには私より頭がよかったり愛嬌がある子がたくさんいたので、私には何もないなと思ったら、人とあんまり話せなくなってしまったんです。家族が好きすぎて、家族がコンプレックスになったんですよね。比べられることも多かったので」
そんな彼女を救ったのはプロレスだった。中学2年生の時、WWEのTAJIRIファンだった妹に薦められ、YouTubeでTAJIRIの凱旋試合を観た。
「家族はみんなプロレス好きでしたが、私は全然興味がなくて、おじさんの殴り合いだと思っていた。でもTAJIRIさんが毒霧や反則技を使ったりするのを観て、『プロレスって楽しいし、引き込まれるな』と思って一気にハマったんです」
柔道をやっていた父に強制的に入れられた柔道部の練習も、プロレスを好きになってから楽しくなった。道場で友だちとプロレスごっこに明け暮れ、中学3年生の時、「プロレスラーになりたい」という気持ちが芽生えた。きっかけは、紫雷イオの試合だ。
「とにかく輝いていたんです。私もこんな人になりたいと思いました。(のちに入門先に)スターダムを選んだのも、イオさんと闘いたかったからです」
中学を卒業したら、すぐにプロレスラーになりたかった。しかし父がかねてから「高校までは行ったほうがいい」と言っていたため、言い出せなかった。奄美大島の高校に進学し、卒業後は上京して飲食の仕事をしながら三つ子の妹たちの学費を工面した。
「林下家には年下のきょうだいの面倒を見る伝統があるので、私と年の近いきょうだいみんなで協力しました。家族が多くて貧しかったので、妹たちにお金で困ってほしくないという気持ちが強かったです」
1年間働いて学費を払い終えたその日、仕事先の店長に「プロレスラーになりたいので辞めます」と申し出た。プロレスラーは林下にとって、魔法使いのような存在。自分がなれるとは思っていなかったが、「今ならやれるかもしれない」と直感した。帰り道に履歴書を買い、スターダムに送ったあとに家族に報告すると、プロレス好きだった家族はみんな喜んでくれた。父だけが「プロレスラーは人前に出る仕事だけど大丈夫?」と、人見知りな娘の決断を憂いていた。
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