レスリング・文田健一郎が狙う五輪金メダル。父直伝の技で恩返しを (2ページ目)
高校ではグレコローマン一本でやろうと決め、韮崎工業高校レスリング部の監督を務めていた父の指導を受けることになった。
「かなり厳しかったです。父自身も『人一倍厳しくやらないとダメだ』と言っていました。ただ自分にとっては、その厳しさがプラスになりました」
高校時代、国体で3連覇を達成するなど、史上初のグレコローマン高校8冠を達成した。卒業後はレスリングの名門であり、父の母校でもある日本体育大へ進学した。レスリング部は寮生活で、1、2年時は高校とは違う大変さがあったという。
「入学してすぐは競技というより、先輩たちの洗濯など、そういった仕事がけっこう多くて大変でした。門限とか部のルールもかなり厳しかったですね」
また、日体大レスリング部には伝統的な行事がある。そのひとつが20歳になった成人の日に行なわれる「成人マラソン」だ。
「渋谷から横浜にある建志台キャンパスまで25キロぐらいあるんですけど、そこを走るんです。もともと走るのは好きじゃなかったので、僕は最下位で。『なんで走っているんだろう......』と思いながら走っていましたね(笑)」
先輩からはいい意味でかわいがられ、強さを増していった。大学3年時に全日本選手権で初優勝。4年になると世界選手権でも優勝し、日本人最年少のグレコローマン王者になった。
競技力を高めた日体大時代だが、文田にとっては大きな出会いの場でもあった。なかでも先輩である太田忍との出会いは、文田に大きな影響を与えた。
「忍先輩は大学の2つ上の先輩で、同じ階級で、いろんな大会で競い合ってきました。大学の頃は忍先輩が世界で活躍して、いろいろと戦い方を教えてもらいました。ライバルでもあるのですが、お互いを高め合う存在でした」
2016年のリオ五輪に、文田は59級グレコローマンの日本代表である太田の練習パートナーとして同行した。初めて直に触れる五輪の舞台は、じつに刺激的だったという。
「五輪に出る選手を間近で見られましたし、減量しているところやコンディションづくり、試合直前の体の温め方、気持ちの持っていき方......全部見ることができたんです。自分が五輪に出た時はこうしようとか、すごく具体的に考えられるようになりましたし、本当にいい経験になりました」
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