バレエとアイドルで感じた絶望。女子レスラー中野たむは劣等感と闘い続けた (2ページ目)

  • 尾崎ムギ子●文 text by Ozaki Mugiko

 中野は愛知県安城市の田舎町で生まれた。父、母、3つ下の弟の4人家族。家の周りは田んぼばかりで、遊ぶ場所といえば「安城コロナワールド」という複合エンターテイメント施設のみ。

「学校が終わったら、『"安コロ"行くか』みたいな感じ。オカダ・カズチカさんと同郷なので、オカダさんもたぶんわかると思います。みんなが安コロに集まる。本当に何もないところです」

 教育ママの母親のもと、3歳からバレエを習い始めた。小学校に上がっても、バレエ、ピアノ、塾に通い、友だちがなかなかできなかった。「そもそも人があんまり得意じゃなかった」と話す。

「一番古い記憶で覚えているのが、幼稚園の友だちと遊んでいた時、私が何かヘンなことをしたら『たむちゃんって、だからみんなに嫌われるんだよ』って言われたんです。その時に初めて、私って人に嫌われてるんだって思ったんですよね」

 学校ではひとりで過ごすことが多かった。お弁当もひとりで食べる。人に合わせるくらいなら、ひとりでいたほうが楽だった。前回、中野を"最強レスラー"に指名した白川未奈は、彼女のことを「人に合わせちゃうタイプ」だと言ったが......

「私がですか? 全然そんなことない。人に興味がないから、『あなたは、あなたでやってればいいじゃん』っていうタイプ。同じ空間にいても別のことをやればいいと思うし、『一緒にやろうよ』とかは言わないです。私は私がやりたいことをやる」

 子どもの頃の夢はバレリーナ。学校が終わるとクラスメートがこぞってプリクラを撮りに行く中、中野はバレエ教室へ行き、週末も朝から遅くまで、バレエ、バレエ、バレエ......。それでもよかった。私にはバレエしかない。将来はプリマとして、世界中から注目を浴びたい!

 しかし中学1年生の時、突然バレエをやめてしまう。

「気づいたんです。『あ、私はバレリーナにはなれないんだ。それは生まれた時から決まってたんだ』って。バレエはとてもシビアな世界で、生まれ持ったプロポーションや才能がすごく左右する。すべての時間をバレエに注いできたけど、私には不可能な世界だという現実に打ちのめされて、絶望してやめました」

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