力道山の妻が告白。ジャイアント馬場との意外な関係とそのエピソード (3ページ目)
私生活で「麻雀仲間」だった馬場に、新居を紹介したのも敬子さんだった。馬場は巨人時代から、のちに結婚する元子夫人と人知れず交際していた。実は、兵庫県明石市に住む元子夫人の両親が馬場との交際に猛反対しており、馬場が日本のマットに定着してから、元子夫人は実家を飛び出して東京で同棲していた。
そんな2人に敬子さんが斡旋したのは、力道山と敬子さんが暮らしていた赤坂の「リキ・アパートメント」の一室だった。地上8階のアパートメントは、力道山が敬子さんと結婚する直前の昭和38年に完成。力道山は大田区池上の豪邸から引っ越し、最上階の8階すべてを住居にした。
力道山の急逝後、敬子さんは住んでいた8階をいくつかの住まいに分割し、賃貸マンションとして貸し出した。8階には直通の専用エレベーターが設置され、中庭にはプールがあったという。そこには当時、絶大な人気を得ていた俳優の伴淳三郎、田宮二郎ら多くの著名人が住んでいたが、「もっとも豪華な住居を馬場さんに貸した」という。
師匠・力道山が住んでいた場所で元子夫人との事実上の新婚生活を始めた馬場は、その後、日本プロレスを退団して昭和47年10月に全日本プロレスを旗揚げ。ほどなくして馬場夫婦は住まいも広尾に移し、昭和57年には結婚を公表するが、夫妻の原点には敬子さんの存在があったのだ。
そんな馬場との秘話を明かした敬子さんだったが、「実は、主人は馬場さんよりも、猪木さんを気にかけていたんです」と続けた。
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■力道山の妻・田中敬子さんらプロレスラーの妻を描いたノンフィクション
『妻たちのプロレス〜男と女の場外バトル〜』(河出書房新社)
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