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【国際プロレス伝】団体崩壊後の日々
寺西勇とアニマルはともに戦った (3ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by AFLO

 会話をしていると、なにげなくサラッとモノマネを入れてくるんです。みんなで呑んでいて、ちょっと間が空くときってあるじゃないですか。そんなときは寺西さんがモノマネをして、3人で和んでいました。でも、『じゃ、寺西さん、お願いします!』とみんなの前に出てやってもらおうとするとダメ。絶対にやらないんです、シャイだから」

 ラッシャー木村、寺西勇、アニマル浜口のトリオは1983年4月15日の広島・福山大会を最後に解散し、2ヵ月後の6月に浜口は長州力とともに新日本プロレスから独立。フリーとして活動することを宣言すると、のちに寺西も「維新軍」に参加した。

 8月4日、東京・蔵前国技館で行なわれたタイガーマスクとの一戦で、改めて評価を高めた寺西の戦いぶりについて、浜口は今も「寺西勇というレスラーはすごい」と唸(うな)る。

「初代タイガーマスクの佐山聡さんと寺西さんは5回ぐらい戦っていると思いますが、あれがタイガーマスクとして新日本プロレスのマットで戦った最後の試合でした。タイガーマスクといえば『四次元プロレス』。本場メキシコで習得した空中殺法に寺西さんは真っ向勝負で挑み、まったく引けを取りませんでしたね。最後はタイガースープレックスが極(き)まり、NWA世界ジュニアヘビー級王座は獲得できませんでしたが、タイガーをずいぶんと苦しめたんじゃないですか。ファンも『寺西勇というのは味のあるレスラーだな』と思ったでしょう」

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