【国際プロレス伝】団体崩壊後の日々
寺西勇とアニマルはともに戦った
【第22回】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」
バラエティに富んだ技の数々を駆使する一方で、アニマル浜口が「歴代プロレスラーのなかでベスト3に入る」と絶賛するほど、寺西勇の受け身のうまさは際立っていたという。国際プロレス崩壊後はラッシャー木村とアニマル浜口の3人で「国際軍団」を結成。新日本プロレスで大暴れしたのち、寺西はどんなプロレス人生を歩んでいったのか――。
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寺西勇(左)は新日本プロレスのマットでも大いに暴れまわった和製カーペンティア・寺西勇(2)
寺西勇は1975年1月9日、岡山・西大寺市民会館にてフランス領マルティニーク島出身の国際プロレス留学生だった稲妻二郎(本名・ジェラール・エティフィア)を破り、空位となっていたIWA世界ミッドヘビー級第2代チャンピオンの座に就いた。以後、のちにAWA世界ヘビー級チャンピオンとなるリック・マーテルらの挑戦を退け、2年以上もその王座を守り続ける。
迎えた国際プロレス最後の興行――1981年8月9日、北海道・羅臼(らうす)小学校グラウンド。寺西勇は第4試合に登場する。対戦相手は本場メキシコでルチャ修行してきたマッハ隼人。その挑戦を難なく跳ね返し、格の違いを見せつけた。
そして国際プロレス解散後、寺西はラッシャー木村、アニマル浜口とともに新日本プロレスへと殴り込む。国際軍団時代をアニマル浜口は次のように振り返る。
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