2017.01.01

解散から35年──。
キミは「国際プロレス」を知っているか?

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

【人物紹介】
アニマル浜口(あにまる・はまぐち)
本名・浜口平吾(はまぐち・へいご)。1947年8月31日生まれ、島根県出身。1969年、国際プロレス入門。新日本プロレス、ジャパンプロレス、全日本プロレスで活躍。元IWA世界タッグチャンピオン。1987年に引退するも、1990年・1994年復帰。1988年には35kg減量してボディビル大会に出場し、ミスター東京シニア部門で優勝。1988年、アニマル浜口トレーニングジム設立。1991年にはプロレスラー・総合格闘家養成のための浜口道場をジム内に開設。長女・京子をオリンピック3大会連続出場(アテネ大会&北京大会・銅メダル)、世界選手権を5回優勝、全日本選手権を16回優勝に導くとともに、50名を超すプロレスラー・総合格闘家を輩出。現在も30名近い道場生を指導する。著書に『世界最強親子、20年の軌跡~娘とだって闘え! そして抱きしめろ!』(マガジンハウス)、『一瞬の喜びのために、人間は泣くんだ。』(かんき出版)、『気合ダァ! 二〇〇連発!!』(ぴあ)など多数。

吉原功(よしはら・いさお)
1930年3月2日生まれ、岡山県出身。早稲田大学レスリング部で活躍し、”早大の星”と呼ばれる。東洋製鋼を経て、1953年に力道山に誘われて日本プロレスに入門。1960年、日本ライトヘビー級チャンピオンとなる。引退後、日本プロレスの取締役営業部長となるも、力道山の死後に経営を巡ってほかのフロントと対立し、退団。1966年、国際プロレスを設立。1981年、北海道・羅臼大会を最後に興行を停止し、解散。1984年、新日本プロレス顧問に就任するも、1985年、胃ガンのため死去。

ラッシャー木村(らっしゃー・きむら)
本名・木村政雄(きむら・まさお)。1941年6月30日生まれ、北海道出身。185cm・125kg。高校を中退して大相撲の宮城野部屋に入門し、1958年3月場所で四股名「木ノ村」で初土俵を踏む。1964年9月場所を最後に廃業し、同年10月に日本プロレスに入団。1966年に東京プロレスの旗揚げに参加した後、吉原功の誘いで1967年に国際プロレスへ移籍する。1969年1月、リングネームを「ラッシャー木村」に改名。不敗を誇る強さから「金網デスマッチの鬼」と呼ばれる。国際プロレスの解体に伴い、新日本プロレスに参戦。1984年にはUWF旗揚げメンバーとして参画し、離脱後は全日本プロレスへ移籍。その後はプロレスリング・ノアの立ち上げも行ない、2004年7月に引退を表明した。2010年、腎不全による肺炎のため死去。

グレート草津(ぐれーと・くさつ)
本名・草津正武(くさつ・まさたけ)。1942年2月13日生まれ、熊本県出身。192cm・105kg。ラグビー選手(ロック)として熊本工業高校、八幡製鉄所で活躍。日本代表キャップ1(1963年ブリティッシュ・コロンビア戦)。1965年7月、日本プロレス入団。1966年3月、草津清正のリングネームでデビュー。1966年10月、吉原功とともに国際プロレスを旗揚げ。1968年1月、TBS初回放送にエースとしてルー・テーズのTWWA王座に挑戦。サンダー杉山、ラッシャー木村、ストロング小林、マイティ井上、アニマル浜口と組んでIWA世界タッグ王者に輝く。1981年引退。2008年6月、多臓器不全のため死去。

マイティ井上(まいてぃ・いのうえ)
本名・井上末雄(いのうえ・すえお)。1949年4月12日生まれ、大阪府出身。175cm・105㎏。大阪学院大学高校卒。ナニワトレーニングセンターではアニマル浜口の先輩にあたり、1967年に18歳でプロレスデビューを果たす。国際プロレスや全日本プロレスで活躍。テクニシャンでありながらパワー勝負もでき、ラフファイターとしても実力を発揮。IWA世界ヘビー級、NWAインターナショナル・ジュニヘビー級、世界ジュニアヘビー級チャンピオンに輝く。グレート草津、アニマル浜口、阿修羅・原らとタッグを組み、IWA世界タッグ王座やアジアタッグ王座を獲得。1998年の現役引退後はレフェリーとなる。全日本プロレスからプロレスリング・ノアに移籍したあとも、名物レフェリーとして人気を集めた。

寺西勇(てらにし・いさむ)
本名・寺西等(てらにし・ひとし)。1946年1月30日生まれ、富山県出身。175cm・100㎏。大相撲・立浪部屋からプロレス界入り。ニックネームは「和製カーペンティア」または「マットの魔術師」。真っ白なショートタイツ、リングシューズの白装束を貫く。技巧派レスラーとして東京プロレスや国際プロレスで活躍。国際プロレス崩壊後はラッシャー木村、アニマル浜口と「国際軍団」を結成し、新日本プロレスに殴り込みをかける。その後、ジャパンプロレス、全日本プロレス、SPWFでもいぶし銀の強さを発揮した。第2代IWF世界ミッドヘビー級王者、第40代アジアタッグ王者。

阿修羅・原(あしゅら・はら)
本名・原進(はら・すすむ)。1947年1月8日生まれ、長崎県出身。183cm・125㎏。長崎県立諫早(いさはや)農業高校、東洋大学、近畿日本鉄道を経て、国際プロレス入り。ジュニアヘビー級からヘビー級に転向し、次代のエースとして活躍する。国際プロレス解散後はジャイアント馬場に誘われて全日本プロレスに参戦。天龍源一郎とのタッグ「龍原砲」でプロレス界に革命を起こした。その後、SWS、WARでも活躍。元WWU世界ジュニアヘビー級、IWA世界ダッグ、アジアタッグ王者。2015年、肺炎のため死去。

大剛鉄之助(だいごう・てつのすけ)
本名・栄田幸弘(さかえだ・ゆきひろ)。1942年3月10日生まれ、宮城県出身。174cm・95㎏。大相撲・二所ノ関部屋から東京プロレスを経て、国際プロレス入り。気性が激しくて喧嘩っぱやく、他のレスラーから一目置かれる存在だったが、カナダでの交通事故で右足切断を余儀なくされ、レスラー人生は短命に終わった。引退後は国際プロレス、新日本プロレスの北米担当ブッカーとなり、同時にカナダで武者修行する多くの若手レスラーを育成した。2017年11月4日、カナダ・カルガリーにて死去。

ビル・ロビンソン
本名・ウイリアム・A・ロビンソン。1938年9月18日生まれ、イギリス・マンチェスター出身。15歳のときにビリー・ライレー・ジムに入門。19歳でプロレスデビュー。世界各地で活躍し、日本では国際プロレスのあと、新日本プロレス、全日本プロレスのリングに上がる。IWA世界ヘビー級、AWA世界タッグ王座などを獲得。国際プロレスではマイティ井上、寺西勇、アニマル浜口らを鍛え、引退後はUWFスネークピットジャパンのヘッドコーチとして日本の若手を指導した。2014年2月、死去。

カール・ゴッチ
本名・カール・イスターツ。1924年8月3日生まれ、ベルギー・アントワープ出身。184cm・110kg。1948年のロンドンオリンピックにベルギー代表としてレスリングに出場し、その後ビリー・ライレー・ジムに入門。ルー・テーズに9回挑戦しながらもNWA世界ヘビー級王座を獲得できず、「無冠の帝王」と呼ばれる。日本プロレス、国際プロレス、新日本プロレスで活躍。アントニオ猪木をはじめとする多くの弟子たち、日本のプロレスファンから「プロレスの神様」と尊敬されている。2007年7月28日、大動脈瘤破裂によりアメリカで死去。

アンドレ・ザ・ジャイアント
本名・アンドレ・レネ・ロシモフ。1946年5月19日生まれ、フランス・グルノーブル出身(諸説あり)。223cm・236kg。1964年にパリでプロレスデビュー。1970年、国際プロレス吉原功社長に招聘されて初来日。AWAの帝王バーン・ガニアに認められて1971年には北米進出を果たす。WWFと契約すると世界各地を転戦し、日本では新日本プロレスや全日本プロレスにも参戦。IWA世界タッグ王座、WWF世界ヘビー級王座などを獲得し、世界中のプロレスファンを魅了した。1993年1月27日、急性心不全のため46歳で死去。

バーン・ガニア
本名・ラヴァーン・クラレンス・ガニア。1926年2月26日生まれ、アメリカ・ミネソタ州出身。182cm・112kg。1948年のロンドンオリンピックにレスリング・フリースタイルで出場。1949年にプロレスデビュー。NWA世界ジュニアヘビー級王座、AWA世界ヘビー級王座、AWA世界タッグ王座、IWA世界ヘビー級王座を獲得。1960年にAWAを設立して”帝王”と称される。1970年、国際プロレス参戦のため初来日。その後、全日本プロレスや新日本プロレスと提携して1981年に引退。2015年4月27日、死去。

ルー・テーズ
本名・アロイシウス・マーティン・セーズ。1916年4月24日、アメリカ・ミシガン州生まれ。21歳でNWA世界ヘビー級チャンピオンに輝き、その後10個以上のタイトルをそれぞれ複数回獲得。バックドロップ、フライング・ボディシザース、ダブルリストロック、エアプレーン・スピンなどの必殺技を武器に6000試合を戦う。国際プロレスのリングではTBS中継の初戦でグレート草津を失神KOさせ、1981年には「ルー・テーズ杯争奪戦」も実施された。今も世界中のプロレスファンから”鉄人”と崇拝される。2002年4月28日、死去。

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