【SVリーグ】ムセルスキーが日本で一番印象に残っている試合「私は妻の誕生日で一度も負けたことがない」 (3ページ目)
【「息子もバレーボール選手を目指すかもしれない」】
そして彼が先発を外れた日本製鉄堺ブレイザーズとの第16節では、あろうことか、2戦連続で0-3のストレート負けを喫している。サントリーがすでにチャンピオンシップの出場権を手にしているとはいえ、驚きの結果に変わりはない。それまで1敗しかしていなかった王者の連敗の要因には、チームの根幹を担ってきた元ロシア代表アタッカーの不在があるはずだ。
願わくば、今シーズン中にムセルスキーのフィジカルコンディションが整い、またあの圧巻のパフォーマンスを披露するようになればいいと思う。バレーボールの真のレジェンドの最後のシーズンにふさわしい花道が作られることを祈っている。今シーズンのチャンピオンシップは5月17日までと公式に記されており、彼の妻の誕生日とは重ならないようだけれども。
「8年間というのは、長い時間だ」とムセルスキーはインタビューの終盤に言った。
「だからロシアに戻ったら、またその生活に慣れる必要がある。新しい生活、いや古くて新しい生活に。家族と共に、またいちから築き上げていくよ」
──息子さんの将来も楽しみですね。
「あるいは彼もまたバレーボールの選手を目指すかもしれないし、フットボールの選手になりたいと言うかもしれない。私は黙って見守るだけだが」
静かで穏やかなバレーボール界の巨星がいた8年間を、日本のこのスポーツに携わる人々は感謝しているに違いない。トップ中のトップレベルの人材がもたらしたものは、目に見えるものからそうでないものまで、数多あるはずだ。
日本のバレーボールファンは、ムセルスキーの勇姿をあと何回見られるだろうか。またコートに戻り、パワフルなスパイクやサーブやブロックに加え、あの優しそうな笑顔を見せてくれることを願っている。
(了)
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ドミトリー・ムセルスキー Dmitriy Muserskiy
1988年10月29日生まれ、旧ソ連・マキイフカ(ソ連崩壊後にウクライナ領となり、現在はドネツク人民共和国の施政下)出身。8歳でバレーボールを始め、15歳でプロになり、23歳の時にロシア代表として出場したロンドン五輪の決勝で大活躍し、金メダル獲得に貢献した。W杯、欧州選手権、チャンピオンズリーグ、クラブ世界選手権など、代表とクラブの双方で様々なメジャータイトルを手にした後、29歳の時にサントリーサンバーズ大阪へ移籍。日本での8シーズン目となる今季かぎりで、現役を退くことを表明している。身長218センチ、ポジションはオポジット(元はミドルブロッカー)。
著者プロフィール
井川洋一 (いがわ・よういち)
スポーツライター、編集者、翻訳者、コーディネーター。学生時代にニューヨークで写真を学び、現地の情報誌でキャリアを歩み始める。帰国後、『サッカーダイジェスト』で記者兼編集者を務める間に英『PA Sport』通信から誘われ、香港へ転職。『UEFA.com日本語版』の編集責任者を7年間務めた。欧州や南米、アフリカなど世界中に幅広いネットワークを持ち、現在は様々なメディアに寄稿する。1978年、福岡県生まれ。
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