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【男子バレー】清水邦広が39歳でコートに立ち続ける理由 「怨敵」で「盟友」の福澤達哉と歩んだバレー人生を振り返る (3ページ目)

  • 小宮良之●取材・文 text by Yoshiyuki Komiya

【五輪の出場権を逃し、自身は大ケガを負う】

 清水は大学3年時に代表に選ばれた。身長190cm以上の左利きオポは珍しく、代表の大枠メンバーには選ばれていたが、2007年のワールドリーグ東京大会でケガ人が出て、急きょ『次の日だが行けるか?』という打診があった。彼はふたつ返事で引き受け、朝の練習に合流し、夜の試合に出場した。そこで勝利に貢献する活躍を見せ、飛躍の足がかりを得た。

 破竹の勢いで、2008年の北京五輪の出場権を勝ち取り、本大会にも出場。福澤とも共闘することになった。

「北京五輪の出場が決まったあと、福澤と自分はなかなかスタートで使ってもらえず、元気があり余っていました。それで深夜に、『散歩に行くか』ってふたり東京タワーに行って、『次は俺たちの時代だ!』『やったるぞ』って叫みましたね(笑)」

 新時代の咆哮(ほうこう)か。ふたりはそのあと、代表の柱になっている。パンサーズでもチームメイトとして、チームに多くのタイトルをもたらしたが......。

「次のロンドン五輪の予選は、僕と福澤が軸でした。でも、自分は予選が始まる2カ月前に足首の手術を受けることになって。福澤は相当プレッシャーがあったはずです。それぞれ期待を背負って戦ったんですが......」

 ロンドン五輪出場の切符は惜しくも逃した。当時、清水は再開したリーグ戦で自身の不甲斐なさにイラ立ち、左手で支柱を殴ってしまった。

「気持ちを入れ替え、初心に戻りました」

 そうして再びパンサーズを優勝に導き、MVPに輝いた。石川祐希という新星が台頭するなかで、清水は度重なるケガを経験しながら、バレー界をけん引した。

 しかし、リオ五輪の出場権も獲得できず、さらなる試練が清水を襲う。2018年に右ひざの前十字靭帯を断裂するなどの大ケガを負い、全治1年と診断された。

「舟状骨の保存治療をして10カ月間のリハビリがあったあとのシーズンで、調子がよかったんです。そこであのケガでしたから、つらさも2倍。自分の場合、内側側副靭帯、半月板、軟骨も同時に損傷していたので。さすがに『もうバレーをやめます』と周りにも伝えました」

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