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【男子バレー】清水邦広が39歳でコートに立ち続ける理由 「怨敵」で「盟友」の福澤達哉と歩んだバレー人生を振り返る (2ページ目)

  • 小宮良之●取材・文 text by Yoshiyuki Komiya

【背中を追い続けたライバル】

 豪傑の逸話のようだが、やり出すと際限がなかった。当時はインターネットもなく、スパイクの打ち方の正解はわからなかったが、体を大きくしようとご飯をもりもり食べた。高校は柔道部にも混ざってトレーニングしたという。

「セッターに対しては厳しかったと思います。僕にトスを上げないと怒っていました。当時はオープントスをダダンと打ち抜く感じで、『とにかく高いパスを上げろ!』と要求していましたね。『3枚ブロックを打ち抜くのがカッコいい』と思っていましたから」

 そして、運命を左右するライバルと出会う。洛南高校のエースで、のちに日本代表の盟友となる福澤達哉だ。

「3年の時の大会はことごとく、福澤がいる洛南に負けました。合宿では勝っても、試合では勝てない。インターハイではベスト8で当たることになり、気合を入れて坊主にしました。しかも試合があった8月11日は、自分の誕生日でした。

 それで3セットを 22-19でリードして『勝った』と思ったんですが。取ったはずの得点が無効になって動揺し、切り替えられずに集中力が切れて逆転負け。試合後はコートに大の字になって、整列もできなかったです」

 福澤は"怨敵"になった。大学も「同じところに行かない」と、中央大に進学した福澤に対して東海大を選択したが......屈辱感は増すことになった。

「自分も高校では騒がれましたが、オープントスでねじ伏せるだけだったのでトップレベルの大学で通じるはずもなく、1年時はレギュラーには程遠かったです。でも福澤は1年からレギュラーで、大学のオールスターにも選ばれました。

 そのオールスターで、東海大の1年がスタッフをすることになり、福澤がサーブを打つ時に自分がボールを渡すことになったんです。『なんで、こんな差がついたんや』と泣きそうでしたね」

 清水はとことん自分と向き合った。

「『高いトスばかり打っていて、自分は足腰が弱い』と自己分析して、1日5キロの走り込みを欠かさずやることにしました。バレー部の練習を17時から22時までやって、片付けをして寮でご飯を食べたあとに23時過ぎから走ったので大変でしたが。頭に福澤の顔が浮かんでくるんですよ」

 彼はそう言って快活に笑うが、ほとんど怨念だ。

「だけど、どこかで結果を残していたら満足していたかもしれない。大学で福澤にボールを渡していなかったら、今の自分はない。いつも福澤が前を走って、それを追いかけたから強くなれました」

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