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【男子バレー】東京GBの今橋祐希が語るイップスに悩んだ日々 再びバレーを「楽しむ」きっかけになった父との電話 (2ページ目)

  • 小宮良之●取材・文 text by Yoshiyuki Komiya

【イップス克服のきっかけになった父の言葉】

 JOC(ジュニアオリンピックカップ。各都道府県の選抜チームで争われる全国大会)ではセッターとして注目され、高校は福岡県の強豪、九州産業大学付属九州産業高校に進学した。当時、同じ県内で「最強」の名を欲しいままにしていた東福岡高校からも誘いも受けたが、「強い高校に勝ちたい」という反骨心がうずいた。「楽しく戦ったら、どこにも負けないはずだ」と。

 しかし高校時代、そのバランスが崩れたことがあった。

「高校2年生の春高バレー予選で、"自分のせいで負けた"という試合があって......」

 今橋は、その日を振り返った。

「試合当日の朝に、軽く体育館でボールを触っていたんですが、自分の手がおかしいことに気づいて。今までにない感覚で、焦ったまま試合が始まってしまった。下馬評では、『東福岡ではなく、九州産業高校が勝つ』と言われていて、そのプレッシャーに押しつぶされたのかもしれません。イップスになってしまい、レフト側へのトスがまったく上がらない。手が揃わなくてドリブルになることもあって、試合も負けてしまいました」

 悩んだ今橋は、バレーをやっていた父親に寮から電話をかけ、本心をぶつけることにした。

「このまま続けてもうまくいかないと思って、父に電話しました。引き留められると思っていて、『今やらんで、どうするんや!』とか言われたら、反抗しようと準備していたんです。でも、『無理やったら、やめていい』と言われて。止めてくんないんだって思いましたよ(笑)。

 でも、それで気が楽になって、『もう一度やってみよう』となりました。『いつやめてもいいなら、今じゃなくていい。これでやめたら後悔するかもしれない』と。あそこで止められていたら、バレーをやめていたかもしれません」

 気持ちを切り替え、ひたすら練習した。寮では早朝6時に起きて、3、4人の後輩を日替わりで起こし、練習に付き合ってもらった。自主練に励み、誰よりもトスを上げた。

 結果、イップスを克服し、青山学院大学に進んでからもバレーを続けた。1,2年時は試合に出られず腐りかけたこともあったが、3年生になって試合に出るようになった。そこで、あらためてこう思ったという。

「自分はバレーをやめられない」

 その境地に行き着いた。思えば、中学から"バレーでご飯を食べる"と決めていた。だからこそ、高校時代はバレーの重力に苦しみ、イップスにもなったのだろう。

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