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【ハイキュー‼×SVリーグ】日向翔陽の「低身長ミドル」の戦い方に共感するアランマーレ山形の伊藤摩耶 武器は朝練100本で磨いたサーブ

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

『ハイキュー‼』×SVリーグ コラボ連載(49)

アランマーレ山形 伊藤摩耶

(連載48:アランマーレ山形の赤星七星が語る『ハイキュー‼』のセッターたちの魅力と「燃え尽きた」大学時代>>)

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 昨シーズンのV1リーグ、アランマーレ山形の伊藤摩耶(28歳)はサーブランキングで2位に入っている。全敗と苦しんだチームの、ひと筋の光明だった。

 なぜ、彼女はSVリーグ有数のサーバーになれたのか?

「高校までは普通のフローターサーブだったのを、大学からジャンプフローターサーブにしたのもあるかもしれないですが......」

 伊藤は言う。しかし技術的な改善以外に、サーブの原型を形成する日々があった。

 小学3年の時、仙台市内にある地元の小学校にバレーボールのチームができた。そのコーチを母がすることになった。それが、少女がバレーを始めたきっかけだ。

「始めた頃のことはあまり覚えていませんが、小学生の時はレシーバーで。身長もまだ大きくなく、目立っていなかったと思います」

 伊藤は笑みを絶やさずに言った。あっさりとした明るさを身にまとっている。

「中学は一番、練習していたかもしれません。中2からは、バレー部の先生が駅伝部の顧問もしていたので、バレー部も駅伝で走っていました。バレー部の練習と別に、週2回はクラブチームの練習が夜にあって。中3ではJOCに選ばれたので、クラブチームの練習がない日の夜はそっちに通っていました。毎日、一日中、練習していた感じ(笑)。身長も、中学1年から3年までで20㎝ほど伸びました!」

 バレー漬けの中学生時代、あらゆる意味で急成長した。ポジションはミドルブロッカーに定着。中2、中3の2年間、朝6時から学校の外周を3km走ったあと、サーブを100本打ち込んでいた。

「今の自分のサーブはそこから来ているんだろうな、と思います」

 伊藤はサーブ特訓の秘密を明かす。

「仙台の冬の朝は寒くて......朝練100本のサーブは、こなそうと思えばこなせると思います。でも、自分はカラーコーンを細かく置いて、一球一球、それを狙っていました。それが楽しかったんですが、おかげで身についたものがあったのかもしれません」

 穏やかに話したが、中学時代は人生を変える出来事にも直面している。

「中2から中3にかけてチームが強くなって、何十年ぶりに県大会に出られることが決まっていたんですが、そこで東日本大震災があって......最初の2、3日は全部(電気、水、ガスなど)止まって、車で生活していました。少し時間が経って、(粉じんなどで使用できなかった)『体育館を掃除しよう』ってなって、県大会も出られるかもしれないってやり始めたんですけど......教頭先生に叱られて(苦笑)。やっぱり危ないから、まだ練習はしちゃダメだったんですよね」

 さまざまな制限がある日々で、とにかく走り込みを続けた。しかし、楽しみだった県大会は出られなかった。

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著者プロフィール

  • 小宮良之

    小宮良之 (こみやよしゆき)

    スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。

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