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【ハイキュー‼×SVリーグ】アランマーレ山形の赤星七星が語る『ハイキュー‼』のセッターたちの魅力と「燃え尽きた」大学時代

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

『ハイキュー‼』×SVリーグ コラボ連載(48)

アランマーレ山形 赤星七星

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「一回、バレーボールをやめた時は『やめなければよかった』と思いました。昨シーズンも、(クラブ史上初めて昇格したV1リーグで全敗)負け続けて悔しかったし、苦しかったけど、その中に楽しさを見つけられました」

 アランマーレ山形の赤星七星(30歳)は、コートに戻ってきた心境を明かした。大学で燃え尽きた気がして、一度は教師の道を選んだ。しかし2年間、中学校教員として勤務したあと、現役への断ちがたい思いに気づいた。

「1年目は教員に慣れるのに必死でしたが、2年目は余裕が出てきたので」

 赤星は当時をそう振り返る。

「福岡の中高一貫の中学で、女子バレー部の顧問をしていました。全中(全国中学校バレーボール大会)に行くほど強い学校だったので、生徒たちは練習から必死でした。試合では会場いっぱいの応援団がいて、1点を決めた時にみんなで喜んで......。そんな熱さを目の当たりにしていたら、『教えるだけじゃなく、自分もやりたい』と思ったんです」

 彼女は少し照れ臭そうに笑みを洩らした。

「足が速かったから」

 それが、小学校4年生でバレーボールを始めるきっかけだった。

「バレーチームの顧問をしていた学校の先生から、『そんな足速いなら、バレーやらない?』と言われて、『やってみようかな』って」

 軽い気持ちで始めたが、最初から面白かったという。

「細かくは覚えていないですけど......もともとスポーツをしていたわけじゃなくて、2人の弟が幼稚園でサッカーをしているのを見て、『私も!』と。バレーって日常にない動きをするじゃないですか? 特にスパイクは、『ネットを越えた!』とかだけで楽しかったです。両親が応援に来て、喜んでくれるところから始まり、のめり込んでいきました。褒めてもらえるのがうれしかったんだと思います」

 彼女の原点だ。

 最初、チームでセッターを決める時、オーバーハンドパスのテストをした。ひとりずつ試したあとに、こう言われた。

「じゃあ、お前な」

 赤星はセッターに選ばれた。当時は、「スパイクを打ちたい」という欲のほうが強かったが、トスを上げ続け、小6になると楽しさがわかってきた。

「セッターは司令塔」

 周りにそう言われて、「私、司令塔」と自己暗示をかけた。

「同じセッターの竹下(佳江)選手に憧れていました。身長は高くないけど、繊細なトスで、体の使い方も綺麗だった。竹下さんを目指してやっていましたね」

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著者プロフィール

  • 小宮良之

    小宮良之 (こみやよしゆき)

    スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。

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