櫻坂46田村保乃が憧れの木村沙織と対談。「私の人生に大事なことを伝えてくれた」「心配になるような発言しかしてこなかったような」 (3ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari
  • 田中 亘●撮影 photo by Tanaka Wataru

ともにバレーボール漬けの学生時代

ーー田村さんは真面目な部活少女だったそうですが、木村さんももちろん部活中心の高校時代だったんですよね?

木村
 私は下北沢成徳高校という学校だったんですけど、バレーで日本一を目指してる高校だったので、体育館には常に「春高まであと●日」と自分たちで作った大きな張り紙がしてあって、授業が終わるとすぐ練習なんです。

 私は学校まで電車で片道2時間くらいかかっていましたが、朝練に始発でも間に合わないから、家の最寄り駅よりちょっと大きい駅まで母に送ってもらっていました。今はどうかわかりませんが、当時は校内合宿というのが多かったです。大会前になると学校にお泊りする生活だったんです。そうなると、24時間、体育館をいつでもどうぞという環境だったので、ずっと練習していました。

 監督の指導法が、それぞれ自分に足りないところを練習するという自主性を重視するものだったので、その後、社会人のチームに入ったり、全日本に行ったりした時にすごく活きました。

この記事に関連する写真を見るーー田村さんは進路を決める時に木村さんの言葉が決め手になったということでしたね。

田村 大学でもバレーをやらないかというお話をいただいたんです。ずっとバレーをしてきて、どこかで区切りをつけようと思っていて......。

木村 うんうん。

田村 自分のなかでは高校まで全力で頑張って、バレーを終えて自分の人生をいったん区切ろうとしていたんですけど、その頃に木村さんも引退すると眞鍋(政義)監督におっしゃっていて。でもキャプテンを任されたんですよね。

木村 そうですね。そういうことがありました。

田村 バレーを続けるかすごく迷いました。たぶん、バレーを続けたほうが自分的には苦しい道になるんだろうなというのは想像して。普通の学生生活を送りたいなという考えがあったんです。でも、その時に木村さんが「選択肢がふたつあった時に苦しいであろうほうを選ぶ」って言っていました。それを聞いて、私も大学でバレー続けてみようと決めました。

木村 へえー。発言って大事ですね。

田村 (笑)。

この記事に関連する写真を見るーー木村さんはインフルエンサーですね!

田村 そうです。インフルエンサーです!

木村 大学が終わる頃に、私が引退するかしないかという話をもう一回してたら、実業団へ行ったかも知れない?

田村 大学の2年生になる頃にアイドルの世界に入りました。なので大学は卒業できなかったんですけど、大学でバレーを続けてなかったら今もなかったんじゃないかなって思うんです。木村さんは昔からいつもそうですけど、私の人生に大事なことを伝えてくださって、道を作ってくださったなと感じています。

木村 そんな力は、私にはまったくないと思いますが......。こういうことを身近で聞くと、自分の発言は大丈夫だったんだろうかと、心配になるような発言しかしてこなかったような(笑)。

田村 いえいえ。そんなことないです。ありがとうございました。

木村 こちらこそ......本当に。

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