櫻坂46田村保乃が憧れの木村沙織と対談。「私の人生に大事なことを伝えてくれた」「心配になるような発言しかしてこなかったような」 (4ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari
  • 田中 亘●撮影 photo by Tanaka Wataru

「バレーボールが本当に大好き」

ーー木村さんはバレーで生きていくと決めたのはいつだったんですか?

木村 バレーで生きていくとは本当に思ったことはないんです。入った学校が強豪校だったので、中学で日本一になる、高校で日本一になる、という目の前の目標をずっと追いかけてきました。その後、大学に行くかどうしようかという時に、ずっとバレーをすることをあんまり考えていませんでした。

 洋服や美容関係も好きでしたし、母からは「バレーだけが人生じゃないから大学へ進学する選択もあるし、真剣に考えてちゃんと自分で選びなさい」と言ってもらいました。押しつけられたことはなくて、いつも自分の好きな方向を選んでこられたので、母には感謝してます。

 そして自分で考えたうえで、いろんなチームを見にいってみて、「ここでバレーがしたいな」というチーム(東レアローズ)を見つけて続けていくことを決めました。バレーをしていると永遠に目標があって、何かクリアしてもじゃあ次はこれ、というふうになる。次はこのチームに勝ちたいとか。それをずっとひとつずつ潰し続けてきた感じですね。

 正直、引退する時も、課題がなくなったわけではないですし、目標をすべて達成したわけでもなかった。それでもやりきったというか、全部出しきれたなという感じはあったのでスパッと終われました。

ーー引退会見の時は笑顔でしたよね。泣かないでいようと思ったとおっしゃっていましたが、ちょっと泣いてました。

木村
 やっぱりお世話になった方の顔が思い浮かんだりして。まだ身体的にはやろうと思えばできたと思うんですけど、技術面でも精神面でも年齢がいけばいくほどに実は楽しかったんです。できることが増えたり、余裕も出てきていました。でも中学、高校くらいからいつやめても悔いがないように一日一日、明日やめてもいいやって思うくらいの気持ちでずっとやってきたから、けっこうスパッと引退できました。「あとはみんな頑張ってくれー」みたいな感じで!

ーー木村さんからはバレーが「楽しい」という言葉が聞かれましたが、田村さんもバレーが楽しかったですか?

田村
 練習は大変でしたが、もちろん楽しかったです。バレーボールというものが本当に大好きで、小学校の頃からずっとそればっかり考えてきました。

◆ ◆ ◆

ふたりの対談中編は、2012年ロンドン五輪のバレーボール女子がテーマ。木村さんが銅メダル獲得に貢献し、田村さんは学生時代にその様子を熱心に観戦していました。田村さんの印象的な試合や木村さんの活躍の裏側を語っていただきました。

中編につづく

撮影協力/TBS

【profile】
木村沙織 きむら・さおり 
1986年生まれ、東京都出身。2003年、アジア選手権で代表デビュー。2005年、東レアローズに入団。2012年ロンドン五輪で銅メダル獲得。2012年に世界最高峰リーグであるトルコの「ワクフバンク」に移籍し、ヨーロッパチャンピンズリーグ優勝を経験。2016年リオデジャネイロ五輪でキャプテンとしてチームを牽引した。2017年に引退。現在は、元バレーボール選手で夫の日高裕次郎氏とカフェ・バーを営みながら、マルチに活動している。

田村保乃 たむら・ほの 
1998年生まれ、大阪府出身。幼少期にバレーボールを始め、大学途中までプレー。2018年、坂道合同オーディションに合格し、欅坂46(現・櫻坂46)の2期生としてアイドル活動をスタート。2021年には自身初の写真集『一歩目』(小学館)を発売。櫻坂46通算3枚目のシングル『流れ弾』ではセンターを務めた。

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