【男子バレー】前代未聞のメディアミックス『ミュンヘンへの道』誕生秘話 (3ページ目)
『負けてたまるか!』は、松平ニッポンの歴史や構想、戦術、そして各選手のエピソードで構成されている。裏表紙には、でかでかと「私はオリンピックの舞台で銀メダルと銅メダルはとった。もう銀も銅もいらない」「八月のミュンヘンオリンピックでは、金をどうしてもとりたい」と書かれている。『ミュンヘンへの道』は、練習部分が実写、エピソード紹介部分がアニメーションのドキュメンタリーだった。当時はアマチュア規定が非常に厳しく、選手のテレビ出演が規制されていたためにこのような形式になったと考えられている。
注目していただきたいのは、この本の執筆も、アニメドキュメンタリーの放映も、五輪の開催前だったということである。今でこそスポーツにおけるメディアミックス戦略は当たり前のことになっているが、当時は前代未聞のことであった。ミュンヘン五輪で金メダルを獲った時、『負けてたまるか!』は、10回も重版を重ねていた。
『ミュンヘンへの道』は毎週、松平と選手たちの実名を挙げて、金メダル獲得へのムードをあおりにあおった。筆者は以前、松平に「これだけ盛り上げて、もし金メダルが獲れなかったらどうするおつもりだったのですか」と尋ねたことがある。その答えは「そうしたら天命とあきらめて、女房と外国で暮らすつもりだったよ」。まさに退路を断ってミュンヘンへと向かったのである。
『ミュンヘンへの道』が前代未聞だったのはそれだけではなかった。そもそも企画書を書いてテレビ局へ持ち込んだのが、監督である松平自身だったのだ。男子バレーのアニメを放映してほしい。企画がないなら自分で書く。持ち込んだテレビ局は、人気番組『サインはV』を放映していたTBS。最初はけんもほろろに断られ、男子バレーではスポンサーが付かないと言われた。
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