【男子バレー】前代未聞のメディアミックス『ミュンヘンへの道』誕生秘話 (2ページ目)
もうひとつはポジティブな面からくる理由だ。事業に失敗した父が残してくれた最大の遺産。それは松平が中学生の頃から父親の亡くなったメキシコ五輪の年まで、ありとあらゆるバレーボールに関する記事をスクラップした「バレーボール・スクラップ」だった。そこには「松平康隆」が出てくる記事にすべて赤線が引いてあった。松平は「松平のファインプレイで慶應は勝った」という一文に赤線が引いてあるのを読み、満足感と感激をもう一度味わうことができたという。
選手を励ます材料、あるいは誇りを持たせるための手段として、マスコミに協力してもらおうという考えは、この経験から生み出された。
松平は男子のボールゲームで唯一の金メダル監督だが、コートの上以外でも、その卓抜した能力を発揮した。自らも、「私は工場長、宣伝部長、営業部長を兼任した」と自負していたように、メディア戦略に長けていた。
ミュンヘン五輪が開催された年である1972年3月、著書『負けてたまるか!』(柴田書店)が発行されている。そして同年4月23日から8月20日まで、アニメドキュメンタリー『ミュンヘンへの道』が放映された。
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