錦織圭も「あのテニスがどこまで通用するのか?」と注目する20歳 伊藤あおいはトリッキーなスタイルで我が道を行く (3ページ目)
【「私はジュニアの頃、ザコでした」】
── 伊藤さんはイラストを描いたり、オセロや麻雀もたしなむなど多趣味ですよね。そのなかでテニスを選んだのはなぜでしょう?
「子どもの頃って、プロフィール帳を友だちと交換するのが流行るじゃないですか? そのプロフィール帳に『将来の夢ランキング』があって、見てみたら1位がテニス選手。2位が作曲家で、3位が小説家だったんです。見返しながら、私は何を目指していたんだろうって思いました」
── どれもクリエイティブな仕事ですね。読書も好きだったんですか?
「はい。音楽を聴くのも本を読むのも好きでした。小説......と言ってもかわいらしいものですが、ミステリーをよく読んでいました。中山七里さんの小説は、シリーズを全部揃えるくらい読みました」
── テニス以外の夢を追いたいと思ったことはないんですか?
「ないです。私、テニスは昔からやっていますけど、音楽とかはやってないじゃないですか。結局は、子どもの頃からやっている人、経験がある人には勝てない。だとしたら、一流になれるのはまだテニスのほうじゃないですか。たぶん、テニスが一番才能もありましたし」
── 子どもの頃から大人の大会に出ていたと言っていましたが、どれくらいの頻度で出ていたんですか?
「全然多くないですよ。年に2大会くらい。試合に出ると学校を休めるので、それは優越感で、ルンルン(気分)で行っていました。でも私、学校を全然休んでないですよ。小学校は普通に行っていたし、中学校も、ほぼ休みなく行っていました。たとえば石井さやかさんとかは中学の頃から活躍していましたが、私はジュニアの頃、ザコでしたから(笑)」
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石井さやかは、伊藤より1歳年少の19歳。父親は元プロ野球選手(現・横浜DeNAベイスターズ野手コーチ)の石井琢朗氏ということもあり、ジュニア時代から将来を嘱望された存在だった。
伊藤と石井は6年前に、全国中学生テニス選手権・決勝で初対戦。その時の石井は、伊藤の変則テニスの前に本人いわく「怒りしか覚えず」自滅的に敗れたという。その後もふたりは戦いのステージを上げつつ、幾度も対戦を重ねている。ダブルスを組むこともある両者は、ライバルにして友人と呼べる関係性だ。
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