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錦織圭も「あのテニスがどこまで通用するのか?」と注目する20歳 伊藤あおいはトリッキーなスタイルで我が道を行く (2ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki

【伊達公子のテニスは見たことがない】

 かくも注目を集める、型にハマらぬ「無手勝流テニス」は、どのように形成されたのだろうか?

 なお、先に白状しておくと、伊藤は取材対象としてもトリッキーで、いつも翻弄されっぱなし。早口で次々につづられる言葉は、プレー同様、どこまでが真意でどれがフェイクか、判別が難しい。

 ひとつはっきりしているのは、彼女のテニスの原点は、週末に家族とボールを追ったファミリーテニスであること。その大枠は今も変わらず、父親がコーチとして主にツアーにも帯同する。

 数年前、伊藤に目指すテニスを聞いたところ、「伊達公子さんと、謝淑薇(シエ・スーウェイ)さんを足したテニス」との答えがすかさず返ってきた。ところが「おふたりのテニス、ほとんど見たことがないんです」と続けて肩をすくめる。伊藤のテニスの設計図を描いたのは、どうやら父の時義氏のようだ。

「ユニーク」と形容されることの多い伊藤のテニスではあるが、時義氏からしてみれば、アジアの偉大な先達に学んだ合理性の産物。

「伊達さんは、あの小柄な体で世界の4位まで行けることを証明した。あんなにいいお手本を見習わない手はないじゃないですか」と、時義氏はサラリと言った。

 では伊藤本人は、どのような思いで今の道を歩むのか?

「今さら、そこからですか?」と笑顔でいなされつつも、キャリアの始まりから今に至る道のりを、本人にうかがった。

   ※   ※   ※   ※   ※

── まずは、テニスを始めたきっかけは、ご家族がやっていたからですよね?

「はい。姉(4歳年長のさつきさん)が先にやっていて。最初はスクールに行かず、完全にプライベートで家族でワイワイと」

── その後は地元・名古屋の『チェリーテニスクラブ』に通うようになったんですよね。何歳の頃からですか?

「忘れましたが、たぶん小学校低学年の時だったと思います」

── テニスを続けていたのは、楽しかったからですか?

「いや、全然。姉がやっていたし、テニス以外の道を知らないので続けていた感じです」

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