錦織圭に次ぐ若さで坂本怜がプロ初優勝 18歳の「ビビラー」が超攻撃スタイルへと豹変したわけ
「観客のみなさま、応援ありがとうございます。そして、おめでとうございます。歴史が変わる瞬間を目撃できたと思います」
三重・四日市の青空の下、真っ青なテニスコートに敷かれたレッドカーペットの上で、坂本怜はマイクを手にそう言った。
この地で開かれた「四日市チャレンジャー」は、ATPツアーの下部大会郡に相当する。大会参加者は69位の西岡良仁を筆頭に、100位〜300位の選手たちがボリューム層。トップ100やツアー定着を狙う文字どおり"チャレンジャー" =挑戦者たちが、しのぎを削る場だ。
特にシーズン終盤のこの時期は、来年1月の全豪オープン本戦や予選出場圏内を目指し、誰もが目の色を変えて戦う。
坂本怜は2006年生まれの愛知県名古屋市出身 photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る その過酷なトーナメントを、今年9月にプロ転向したばかりの坂本怜が制した。18歳6カ月でのATPチャレンジャー優勝は、日本人選手としては錦織圭に次ぐ若さ。「子どもの頃、錦織選手をテレビで見た衝撃」に突き動かされ米国IMGアカデミーに渡った若者が、憧れの先輩の背を大きなストライドで追っている。
『男子、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ』とは古めかしい文言ではあるが、ここ最近の坂本の急成長は、この慣用句を想起させる。それは単に戦績のみならず、プレースタイルの劇的な変化にもよるものだ。
現在の坂本は、195cmの長身を生かした攻撃力がトレードマーク。ただ、16歳の頃まではどちらかといえば、守備的な選手だった。
本人も「意外とシコいのが、坂本怜の嫌らしいところでして」と、自身をユーモラスに言い表したことがある。「シコい」とはテニスの俗語で、「しつこい、ミスがなく粘り強い」などの意。ジュニアの世界で坂本が結果を残せていたのも、そのような手堅さゆえだった。
そんな彼のプレーに革新が訪れたのは1年前。兵庫県開催のATPチャレンジャー予選の初戦で、内山靖崇に1-6、2-6の完敗を喫した時だった。
この試合での坂本は、持ち味の守備力をいともたやすく内山に粉砕され、大きなショックを受けたという。
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著者プロフィール
内田 暁 (うちだ・あかつき)
編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。2008年頃からテニスを追いはじめ、年の半分ほどは海外取材。著書に『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)など。