ラグビー日本代表・伝説のLO林敏之 2メートル級の巨漢に「壊し屋」はひるむことなく立ち向かった (3ページ目)
【YouTubeでも精力的に発信】
転機は1988年度。主将のポジションを後輩・平尾誠二に託し、自身はLOへ復帰。これが奏功し、全国社会人大会決勝で東芝府中を23-9、日本選手権では大東文化大を47-17で圧倒し、入社7年目にして悲願の日本一を達成した。林は間違いなく、神鋼黄金時代の礎(いしずえ)を築いたひとりである。
30歳を迎えた林は、さらなる高みを目指してイギリスの名門・オックスフォード大学へ留学。「世界と戦いたい」という一心で、2メートル級の巨漢がひしめくなか、184cmながらひるむことなく体を張り続けた。
そして日本人として初めてケンブリッジ大学との定期戦「バーシティマッチ」に出場し、文武両道の証である「ブルー」の称号を獲得。のちにオックスフォード大ラグビー部「歴代ベスト15」にも選出される快挙を成し遂げている。
現役生活は36歳まで続けた。晩年は左ひざのケガにより公式戦出場は叶わず、1995年度、神戸製鋼のV7が止まったサントリー戦を秩父宮ラグビー場のスタンドで見届けたあと、23年にわたるラグビー生活に終止符を打った。
「ラグビーが好きで一生関わりたい。ラグビーから得た感動を伝え、人に気づきを与えたい」
その志(こころざし)は引退後、「NPO法人ヒーローズ」の設立という形で結実した。小学生の全国大会「ヒーローズカップ」を主催するなど、ラグビーの普及と育成に尽力。また、YouTubeでの発信も精力的に行なうなど、トレードマークの口ひげを蓄えた「ダイマル」は今も変わらぬ笑顔でラグビーの魅力を伝え続けている。
著者プロフィール
斉藤健仁 (さいとう・けんじ)
スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。
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