松田努は40歳を過ぎても現役に固執した「中年の星」 トレードマークの襟足の長い髪型も愛されていた (3ページ目)
【未練タラタラで引退を決意】
そして大学3年生の時には、松田に大きなサプライズが待っていた。1991年8月、宿澤広朗監督の率いる日本代表の菅平合宿に招集され、さらにCTB元木由記雄(明治大学2年)とともに大学生ながら10月開催の1991年ワールドカップメンバーに選出されたのである。
「うれしさよりも『俺でいいのかよ......』という不安のほうが大きかった」
試合に出場する機会はなかったが、21歳という若さで貴重な経験を積むことができた。
「キャプテンだったスーパースターの平尾誠二さんを間近に見られて、一緒にやれたことは自信になりました。次のワールドカップには出てやろうと思いましたね」
その言葉どおり、松田は4年後の1995年大会では初めてワールドカップのピッチに立ち、1999年大会、2003年大会と計4度も大舞台を経験。日本代表キャップは43も積み上げた。
また、松田のプレーと言えば、東芝府中(現・東芝ブレイブルーパス東京)での勇姿を覚えているファンも多いはずだ。
関東学院大から入団して、東芝府中でひと筋20年。競馬好きで「府中競馬場が近かったから(笑)」という冗談混じりの入社理由はさておき、東芝の栄冠を築いてきた功労者のひとりだ。
日本選手権は2度の3連覇で優勝6回、トップリーグは歴代最多タイの優勝5回。すべてのタイトル奪取に貢献した。
そして、40歳を過ぎても現役選手として試合に出場し続けた姿も印象深い。41歳9カ月でトップリーグ最年長トライ記録を更新した「中年の星」でもあった。
30歳を過ぎたあたりで、コーチ就任への打診もあったという。しかし、松田はそのオファーを断って現役続行を決断。体のケアやサプリメントの補給など、ほとんどこだわらずに自然体でプレーを続けていたのだから驚きだ。
2013年、松田は「まだ現役を続けたかった」のだが、チームから戦力外通告を受けたことで引退を決意。本人いわく「未練タラタラ」でブーツを脱いだ。
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