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松田努は40歳を過ぎても現役に固執した「中年の星」 トレードマークの襟足の長い髪型も愛されていた (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

【FBに転向して才能が開花】

 1991年度の準決勝は早稲田大に4-25、1992年度の準決勝は明治大に9-15と、それぞれ惜しくも敗れた。しかし、関東学院大が確実に強豪チームの階段を登っていることを知らしめた。

「(早稲田大・明治大と対戦した)5万人の国立競技場はすごい世界でした! 名門を倒して、ひと泡吹かせてやろうという思いでプレーしました。勝てなかったですが、そのチャレンジは次につながった。充実していたし、成長できて楽しかった」

 大学時代を振り返った松田は、懐かしそうに目を細めた。

 松田のトレードマークでもある襟足の長い髪型は、大学4年時に生まれたという。

「早稲田大や明治大に負けないように目立つことをしようと、みんなで髪の毛を伸ばし始めました。ところが僕だけが最後まで切ることができず、おじさんになっても伸ばしたまま(苦笑)」

 小学〜中学時代の松田は、甲子園出場・プロ野球選手を夢見る野球少年だった。ところが中学2年の時、テレビドラマ『スクール☆ウォーズ』を見て大きな影響を受け、高校からラグビーを始めようと決心する。

 進学したのは、埼玉の草加高校。通える範囲でラグビー部のある学校を選んだ。しかし高校ラグビーにおいて、草加高はまったくの無名だった。

 松田はハードワークとタックルに長けたFL/No.8として、経験者のいないチームを引っ張った。高校3年時は埼玉県決勝まで勝ち進む。だが、最後は負けて花園出場の夢は叶わなかった。

 高校卒業後、松田は関東学院大に入学する。高校の1学年上の先輩が在籍し、練習に参加したことがきっかけだった。前述のとおり、FBに転向した松田はすぐに頭角を現し、1年生ながらチームの中心選手となる。

「ほかの強豪大学と違って、当時の関東学院大は上下関係がまったくなく、ラグビーを自由にやらせてもらえたので楽しくできました」

 27年間の現役生活のなかで、松田が最も印象に残っている試合のひとつは大学1年生の時。交流戦で早稲田大と対戦し、グラウンド上で対面したFB今泉清(3年)のプレーに衝撃を受けたという。

「僕がまだ未熟だったこともありますが、一番インパクトを受けました」

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