「お前の勝ちでいいよ」亡き父親との約束を果たした高校時代...松田力也「平尾2世ではなく、一番と言われるようになりたい」 (3ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

── 松田選手のプレースキックも日本代表の大きな武器です。

「手術したのが軸足でしたけど、昨季よりも精度は合ってきたと思います。2019年W杯が終わってから自分にとって正しい蹴り方を覚えたので、試合を重ねるごとに納得できるようになってきました。ハイプレッシャーの場面でも蹴ることができるのは、自分の強み、進化だと思っています。

 キッカーとしては、常に(成功率)100%を目指しています。自分の役割と責任を全うするために、100%という結果で返したいなと思います」

── 日本代表10番のライバル争いについて、どうお考えですか?

「僕がケガをしている間に、(田村)優さんはリーグワンでいいパフォーマンスを続けていますし、(李)承信、山沢(拓也)、中尾隼太(ブレイブルーパス東京)も日本代表の試合に出ました。みんな、それぞれ自分の強みがあると思います。

 そのなかで誰が一番、日本代表のチームにフィットするかだと思っているので、僕は自¬¬分のよさを出して10番を掴み取りたい。もう誰にも負けたくない。W杯は全試合に出場する覚悟でいます。そこは2019年大会から学んだことなので、絶対に譲れないところです」

── 松田選手はお父さんもユニチカでプレーしたラグビー選手でしたね。

「父はFL(フランカー)でしたが、FWに憧れたことはなかったですね。ずっとBKでいきたいと思っていました。僕が小学校5年生の時に他界しましたが、父親がラグビーをやっていたから、僕もラグビーをやる機会をもらい、今がある。なので、すごく感謝しています。

 物心(ものごころ)がついた頃、オール京都に選ばれたことのある父親に言われたことを、今も覚えています。『高校ジャパンに行ったら、お前の勝ちでいいよ』と。

 僕は高校2年生で高校日本代表に選ばれたので、約束は果たせたかなと思っています。その時から『日本代表になりたい』という思いも強くなった。W杯で活躍することが、父親に対して、そして母親や自分の家族に対して、いい恩返しになると思います」

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