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ラグビー平尾誠二が25年前に語った
「子どもたちに伝えたいこと」

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by AFLO

追悼・平尾誠二@前編

 日本ラグビー界の巨星が、またひとつ墜ちた――。

 花園優勝、大学選手権3連覇、日本選手権7連覇の偉業を次々と成し遂げる一方、当時史上最年少19歳4ヶ月で日本代表(ジャパン)に選出。1989年にはキャプテンとして強豪スコットランド代表を撃破し、1991年のワールドカップ初勝利にも貢献。ワールドカップ3大会連続出場を果たし、1999年大会では代表監督を務めるなど、日本ラグビー界を長きにわたってリードしてきた平尾誠二が、10月20日、53歳の若さで逝去した。

日本ラグビー発展のために平尾誠二は全力を尽くしてきた日本ラグビー発展のために平尾誠二は全力を尽くしてきた「ミスター・ラグビー」

 そう呼ばれるのは、120年近い日本ラグビー史のなかでも、この男しかいない。1963年(昭和38年)生まれながら、早生まれ(1月21日)の彼は、1962年8月生まれの私と同学年。同じ高校ラガーマンとして......といっても、こちらは東京都大会で1回戦を突破できれば大喜びの超弱小高校だったが......自分たちが決して立てぬ花園の大舞台で光り輝くスターの眩しさにやられてから、ずっと彼を追い続けてきた。

 花園で伏見工業高を優勝に導いた平尾は、同志社大に進学。1年生から当然のようにレギュラーの座を掴むと、2年生から史上初の大学選手権3連覇の立役者となった。だが、日本選手権で松尾雄治率いる新日鉄釜石に挑みながら7連覇を許したノーサイドの瞬間、平尾は精根尽きながらも次の何かを見つめていた。

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