ラグビー平尾誠二が25年前に語った
「子どもたちに伝えたいこと」 (2ページ目)
大学卒業後、イギリス留学を経て神戸製鋼へ。社会人の名門チームでも、3年目の1988年からキャプテンとなった。遅れて社会人となり、スポーツライターとなった私は神戸製鋼の試合を取材し、囲みで話を聞くようになったが、単独インタビューをさせてもらったのは、1991年ワールドカップ日本代表メンバー発表の直前だった。
場所は兵庫県神戸市、神戸製鋼本社。社食でランチをいただきながら、私が初めて書いた『ラグビーはこう見るのが楽しい』(ベースボール・マガジン社)の巻頭特集でラグビーの魅力を語ってもらった。『ラグビーマガジン』からの依頼とはいえ、あのタイミングでよくぞ引き受けてくれたと、今も感謝している。
「メンバー入りできるかどうか、ハラハラドキドキの選手もいるでしょうが、平尾さんは余裕ですよね。選ばれないわけがない」
「いやいや、宿澤(広朗/日本代表監督)さんやから、何を考えているかわかりませんよ。安心なんかしてられへん」
そんな挨拶代わりのやりとりの後、平尾は真摯に、ラグビーを始めたばかりの子ども、応援する親御さんに語り掛けるように、やさしく、わかりやすくラグビーの魅力を説いてくれた。京都生まれの関西弁で。
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